今はなにかと「生きづらさ」を感じる時代。しんどい現実を変えていくのは難しいですが、「捉え方」を変えてみたら、気持ちはスッとラクになります。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「現実のしんどさがラクになる気持ちの整え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「気持ちが軽くなった」との声が寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「自己否定する気持ちの整え方」を紹介します。

【ダメな自分を責めたくなったら】自己否定の感情が一瞬で消える「気持ちの整え方」とは?Photo: Adobe Stock

「ミサ」をサボってめちゃくちゃ怒られた

 一度、平日の早朝に教会でのミサに行かねばならないときがありました。
 どうしても嫌だった私は、教会へと続く坂の手前にある小学校に逃げ込みました。

 でも、そんなときにかぎって母にバレてしまい、普段は温厚で優しい母に、そのときだけはきつく叱られてしまいました。

 他の日は真面目に通っていたのに、よりによってサボった日だけバレるなんて。
 自分の運のなさを呪いました。

「自己否定」する私を救ってくれた考え方

 規則に従い、正しく生きたい。
 そう思う一方で、こうも考えてしまいます。

「お祈りの時間は大切なのに、嫌になってしまう」
「修道院で過ごすよりも、もっと友達と遊びたい」
「人と仲良くしなくてはいけないのに、誰かと同じ部屋で暮らすのが嫌だ」

 すっかり私は自分を「ダメな人間だ」と思うようになりました。

 ただ、あるときから、こうも考えるようになりました。

「でも、そう思ってしまうのが私なんだ」

 規則と折りあいのつかない自分の性質を、「弱さ」ではなく「個性」として受けとめてみたのです。

「弱さ」も含めて、「自分」だと受け止める

 すると、それまで抱えていた「正しく在らねばならない」という重荷が消え、スッと体が軽くなりました。

 ルールや規則に合わせられないとき、ストレスを抱えたり、合わせられない自分のことを責めたくなったりするものです。

 でも、その弱さも含めて「自分」という存在です。

 規則という不自由があるから、そこに相容れることのできない自分らしい思考や行動に気づけます。
 それに目を向けることで、自分がどんな人間なのか、本当は何を求めているのかなど、心の声を自覚できるのです。

(本稿は、書籍『不自由から学べること』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「しんどい現実がラクになる考え方」を多数紹介しています。)