78年に会長に退いたが、89年まで会長を務めた。杉浦氏は、規模拡大のために、強力なリーダーシップを発揮した。とくにノンバンクについては73年、経営不振に喘ぐリコー系ノンバンクである日本リースを傘下に収め、銀行の別動隊として不動産融資を積極的に増やした。日本ランディック、エヌイーディーといった系列ノンバンクも同様に急膨張した。
また杉浦氏は、融資基盤の多様化、強化を狙って、不動産、流通、サービスといった新興勢力との取引親交を進めた。杉浦氏は、異色の経営者として急成長していたイ・アイ・イ・インターナショナル・グループの高橋治則社長(東京協和信組理事長)も積極的にバックアップした。こうした急膨張が裏目に出て、バブル崩壊の下で多額の不良債権を抱えるに至った。
旧経営陣3人が逮捕された
長銀事件の顛末
長銀事件では、1992年、ドン杉浦敏介元頭取は9億7000万円もの退職金を手にしたが、時効により刑事訴追を免れた。このため、退職金返還要求が高まった。杉浦氏は抵抗したが、最後には2億円を返還した。こうした中、99年6月東京地方検察庁特別捜査部(東京地検特捜部)は、粉飾決算容疑で大野木克信元頭取ら長銀旧経営陣3名を逮捕した。
2002年9月、一審・東京地裁は有罪判決、05年6月、二審・東京高裁は控訴を棄却し、有罪とした。しかし、2008年7月、最高裁は一審、二審の判決を破棄し、無罪判決を下した。
問題となったのは、1998年3月期決算であった。その前年3月に、大蔵省から新たに資産査定通達(「早期是正措置制度導入後の金融検査における資産査定について」)が発出され、会計基準が厳格化された。ポイントは、この新基準が「唯一の公正な会計慣行」か、旧基準に基づく自己査定が「不良債権隠し」に当たるか、という点であった。
当時の商法には、「商業帳簿ノ作成ニ関スル規定ノ解釈ニ付イテハ公正ナル会計慣行ヲ斟酌スベシ」(第32条第2項)との定めがあった。「斟酌スベシ」とは公正な会計慣行がある以上は、特別の事情がない限りは、それに従わなければならない趣旨と解されている。(『資料版/商事法務』2011年10月号「旧日本債券信用銀行 証券取引法違反事件差戻控訴審判決――東京高判平23年8月30日」)