この間、長期プライムレート(優良企業に対する期間が1年以上の貸出金利)は長信銀が発行する5年もの利付金融債の表面利率に0.9%を上乗せした水準となっていた。
金融債を預金保険の対象とするかどうかについては、水面下では色々議論が行われた。長銀、日債銀はその安定消化の観点から、金融債を預金保険の保護対象にすることに比較的前向きであったが、興銀は金融債を預金保険の保護対象にすると長信銀に対する信任が傷つき、却って長信銀の信用不安を招くと反対論を展開した。
筆者は、個人的には先行き長信銀の破綻もありうると思われるため、処理方法のメニューは多い方がよいと考え、預金保険の対象とすべきと考えていた。
その後、不良債権問題の深刻さは増し、金融債の消化に支障が生じる中、金融債が預金保険の保護対象になっていないと、預金や貸付信託に比べ商品性が不利になるとして、興銀も金融債を預金保険の保護対象にすべきとの主張に変わった。
こうして、2000年の預金保険法改正により、保護預かり専用商品に限って金融債は預金保険の保護対象となった。保護預かりとは、顧客には金融債そのものは渡さず、通帳や証書のような形で残高を表示する方法である。
不良債権問題の源流となった
長銀の第4代頭取・杉浦敏介氏
もっとも、長銀破綻時には、金融債も含め全債務が保護された。ちなみに、長銀破綻時の総理談話において、「預金、金融債、インターバンク取引、デリバティブ取引等の負債は全額保護され、期日通り支障なく支払われるとともに、善意かつ健全な借り手への融資も継続される」と債務の全額保護が記されている。
全債務保護の下、長銀の破綻処理で投入された公的資金(税金)は3兆2000億円にのぼった。大蔵省が交付国債を預金保険機構に渡し、機構が必要に応じて現金化する形をとり、形式的には預金保険の特別資金援助が実施されたのだが、破綻処理費用の多くは公的資金で賄われた。
長銀の不良債権問題を遡ると、源流は、1971年に長銀第4代頭取に就任した杉浦敏介氏に行き着く。