そういえば、つい最近も、お笑い芸人のキンタロー。さんが、大手の事務所を離れてフリーランスになってから、マネージャーとしての別人格「熊野志保」を設定していることをテレビで明かしていました。
ギャラ交渉などを自らやるのは具合が悪く、特に値上げなど待遇アップを求めるにあたっては、電話口では熊野志保なる架空の人物になりきって応対するのだそうです。出演依頼やギャラ交渉をすることによって、お笑い芸人のキンタロー。を客観的に見つめて、本当の価値が見えてくるというメリットがあるに違いありません。大手事務所にマネジメントをすべて任せていると失うものも少なくないと思います。
もうひとつの「顔」が自分を解放してくれる
実際、私自身もこうして芸名を持って活動をしてみると、それまでの自分はずいぶん本名に縛られていたのだな、と感じることが多々あります。自分の中で勝手に枠組みを設け、それが活動の制約に繋がっていたのです。
本名から離れると、一旦現在の社会的立場から自由になります。そうすると、本来は自由に様々なことに手がつけられることに気づき、解放されたように感じました。
私からすると、一生同じ名前、一つの顔で過ごすほうが違和感を持つようになりました。二つの顔を持っていて、困ることはほぼありません。携帯電話に出るときに最初「もしもし」と言って、相手を確認してから、本名と芸名のどちらを名乗るか決めることぐらいです。
もちろん、これは著述業を選んだ私のケースに過ぎません。誰もが同じことをやれるわけではないのは承知しています。
しかし現代人では、SNSなどで本名とは別の名前を使うことも定着してきています。「複数の顔を持つ」ことを意識してポジティブな使い方を心がければ、これまでとは違った発想や視点が得られる可能性があります。自分で作り上げたもうひとつの「顔」が、思いも寄らない世界へ導いてくれることもあり得るかもしれません。
ぜひ皆さんも、「複数の自分」を大切に育てることを一度考えてみたらいかがでしょうか。
(構成/フリーライター 友清 哲)