【教養としての世界史】冷戦がわかれば、今のロシアの動きがもっとわかる!
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。

【教養としての世界史】冷戦がわかれば、今のロシアの動きがもっとわかる!Photo: Adobe Stock

冷戦とは何か? なぜNATOが結成されたのか?

 1914~1918年の第1次世界大戦、そして1939~1945年の第2次世界大戦と、人類は二度にわたり未曾有の大戦争を経験します。これら大戦争の経験から、第2次世界大戦後に新たな国際秩序が形成されることになります。とはいえ、この国際秩序は、すでに第2次世界大戦中より形成されつつありました。

 1939年に第2次世界大戦が勃発すると、ドイツやイタリアといったファシズム諸国に日本などを加えた陣営が「枢軸国」Axis powersと称したのに対し、イギリスやフランスはまもなく宣戦布告をしたものの、枢軸国に対抗する陣営は形成されないままでした。また、1939年時点ではアメリカは参戦していませんでしたが、1941年にイギリスと共同で大西洋憲章を発表します。

 この憲章で、米英両国は大戦終結後の目標を明らかにし、これは当時中立国であったアメリカが、反ファシズム諸国を明確に支持するものでした。この大西洋憲章は、枢軸国と交戦する多くの国々に承認され、翌1942年に、「連合国」という組織が正式に発足することになります。第2次世界大戦での「連合国」という枠組みを、戦後の国際平和機構に転用したのが、今日の国連なのです。

 国際連合では第1次世界大戦後より提唱された、集団安全保障体制が制度化・強化されており、これは加盟国のいずれかに対する侵略がなされた場合、他の参加国も協力して侵略国に対抗するというものです。

 しかし、この枠組みはまもなく「内輪もめ」に発展します。

 そもそも、アメリカとソ連は第2次世界大戦前より関係が良好とは言えず、アメリカがソ連を国家承認したのは1933年で列強では最も遅いのです(その理由も、満洲事変を機に中国侵略を進める日本の脅威に対抗する必要からでした)。第2次世界大戦では枢軸国という共通の敵がいたから手を組んだ両国ですが、共通の脅威が去ると対立が再燃することは火を見るよりも明らかでした。

「冷戦」の始まり

 ソ連は第2次世界大戦で枢軸国の占領から「解放」した諸国で、社会主義政権の発足を支援するなどして、東ヨーロッパにおける影響力を強めつつありました。こうした状況を揶揄して、当時首相の座を退しりぞいていたイギリスのチャーチルが、「鉄のカーテン」と形容したのです。

 アメリカもまたこの動きを警戒し、手始めに1947年にトルーマン・ドクトリンを発表してギリシア・トルコへの軍事も含めた支援を表明し、同年にはマーシャル・プランを実行に移し、ヨーロッパ諸国への経済的な復興援助に着手します。マーシャル・プランに反発するソ連は、各国共産党を参加させた共産党情報局(コミンフォルム)を結成して対抗し、さらにモロトフ・プランを基に経済相互援助会議(COMECON)で社会主義諸国との経済的なつながりを強化しようとします。

 決定的となったのは、1948年のことです。この年の初め、クーデタでチェコスロヴァキアが社会主義共和国となります。他方で、敗戦国となったドイツ本土と首都ベルリンは、それぞれ米英仏ソの4カ国による分割占領下にありました。下図(図98)を見てください。

【教養としての世界史】冷戦がわかれば、今のロシアの動きがもっとわかる!出典:『地図で学ぶ 世界史「再入門」』

 しかし、社会主義の影響が強まることを危惧したアメリカの主導で、同年6月に米英仏の占領地(西側)での通貨改革を断行します。これに反発したソ連は、ソ連占領区内で西側の飛び地となっていた西ベルリンを、軍隊を動員して封鎖するという行動に出ます。アメリカなどは空輸作戦で物資を供給するなどして対抗しましたが、これにより米ソの対立がより深刻になります。

 アメリカはトルーマン・ドクトリンをきっかけに、社会主義諸国の影響拡大を阻止しようと試み、この一連の施策は「封じ込め政策」と呼ばれます。1949年に北大西洋条約機構(NATO)が結成されたことで「封じ込め政策」は完成し、1955年には東ヨーロッパ相互援助条約(ワルシャワ条約機構/ WPO)がソ連を中心に結成され、「冷戦」という構図が確立します。

(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の一部抜粋・編集を行ったものです)