昆虫のうち約8割が、生まれた時とまったく違う姿で成虫になる。「完全変態」と呼ばれる成長過程だ。たとえば蝶は、芋虫から蛹(さなぎ)を経て、翅(はね)を持つ美しい姿に変わる。身を置く場所を変え、食べるものも変えながら、成長と脱皮を経て、次の世代に命をつないで種の繁栄を図る。
対してヒトは、身長や体重が増えて大きくなっていくものの、ヒトとしての姿形は生まれてからほとんど変わらない。親から守られて食物も与えられるため、変態しなくても生き延びられるからだとされる。
では、企業はどうだろうか。「この数十年間に日本企業の多くが取り組んできたのは、変態(メタモルフォーゼ)ではなく、欧米流経営の擬態(ミミクリー)だった」と語るのは、今回のロングインタビューに登場する名和高司教授だ。欧米流=世界標準と崇めることは、欧米流を擬態したコスプレ経営にすぎないと喝破する。
そのうえで、「ダイナミックに成長を続ける企業は、着実に変態を繰り返している」とも付け加える。先行者利益、参入規制、ケイレツ、安定株主など、かつて日本企業を守っていた壁が次々と崩壊し、あらゆる産業が100年に一度といわれる大変革期に突入した。ゲームチェンジが始まっているからこそ、企業にとって変態の重要性はますます増している。むしろこの変態こそが、成長のダイナミズムを取り戻すために不可欠だと言う。
名和氏が、変身でも変革でもなく「変態」という言葉を使うのは、上辺だけでなく中身から変わることを意味するからだ。だが、変わるといっても、すべてを捨ててゼロから始めるのでは、スタートアップと同じになってしまう。むしろ、これまで積み重ねてきた資産や経験を活かしながら自分たちの強みを再編集し、経営のOSをバージョンアップすることがいまこそ重要だと主張する。
その際に拠り所となるのが、自分たちの中に眠るDNAである。誰に教えられなくても蝶が変態するように、自社の中に刻み込まれた進化の記憶が生まれ変わりを導く。そのDNAは各社固有でありながら、いくつかの共通点が認められる。それを名和氏は「日本流」と呼ぶ。
さりとて、かつての日本流経営が限界を迎えているのは、この数十年の低迷が物語っている。バージョンアップを経た「シン日本流」とはどのようなものか。何を再評価し、何を変えるべきか——。創刊以来、「21世紀にふさわしい日本的経営を再発明する」を編集コンセプトに掲げてきた本誌にとって、これは究極の問いでもある。数多くの日本のエクセレントカンパニーの経営変革に伴走してきた名和氏との対話から、乱世を生き抜くための「シン日本流経営」への道を探る。
欧米流の「コスプレ経営」で
失われたもの
編集部(以下青文字):2025年2月、新著『シン日本流経営』(ダイヤモンド社)を上梓されました。その中で、「日本企業は欧米流の擬態経営から脱却し、『シン日本流経営』へと経営のOSをバージョンアップしなければならない」と強く主張されています。欧米流の経営理論を取り入れ、グローバル企業に倣うことで経営の高度化を目指してきた日本企業にとっては、極めて厳しい指摘です。
一方で、CSV経営やパーパスなどの最新の経営論をいち早く日本に紹介した名和先生が「擬態経営」と呼ぶことを意外に感じる人もいるかもしれません。主張の真意と、欧米流経営が日本企業に何をもたらしたのかについて、あらためてお聞かせください。

一橋ビジネススクール 客員教授
名和高司
TAKASHI NAWA 京都先端科学大学教授、一橋ビジネススクール客員教授。東京大学法学部卒、ハーバード・ビジネス・スクール修士(ベーカー・スカラー授与)。三菱商事を経て、マッキンゼー・アンド・カンパニーにてディレクターとして約20年間、コンサルティングに従事。2010年より一橋ビジネススクール特任教授(2018年より客員教授)、2021年より京都先端科学大学教授。ファーストリテイリング、味の素、デンソー、SOMPOホールディングスなどの社外取締役、および朝日新聞社の社外監査役を歴任。企業および経営者のシニアアドバイザーも務める。著書に『学習優位の経営』(ダイヤモンド社、2010年)、『パーパス経営』(東洋経済新報社、2021年)、『稲盛と永守』(日本経済新聞出版、2021年)、『資本主義の先を予言した 史上最高の経済学者 シュンペーター』(日経BP、2022年)、『桁違いの成長と深化をもたらす 10X思考』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2023年)、『超進化経営』(日経BP 日本経済新聞、2024年)、『エシックス経営』(東洋経済新報社、2024年)、『シン日本流経営』(ダイヤモンド社、2025年)など多数。
名和(以下略):世界標準の経営などというものはどこにも存在せず、日本ならでは、自社だからこその強みに立脚する以外、成長の道はない。これが私の一貫した考え方です。たしかに私の著作の中にはCSVやパーパスといったカタカナ言葉を冠したものがありますが、中身を読んでいただければわかるように、欧米流を模倣せよとはけっして言っていません。むしろ日本流の経営、あるいは日本流の資本主義には、いま世界が志向する持続可能な経営と新しい資本主義の原型を見ることができます。日本流を象徴する「三方よし」や「論語と算盤」をCSVと置き換え、「志」をパーパスとあえて言い換えることで、日本流の優れた経営を世界に発信できると考えてきました。
そうした私の思いに反して、ここ30年にわたって日本流経営の価値は失われ続けているのも事実です。その元凶が欧米流の擬態経営だと考えています。「失われた何十年」というお馴染みのフレーズとともにすっかり自信を失った多くの日本企業が、株主資本主義、ガバナンス改革、両利きの経営、リスキリングなど、次々と目新しい外来物に飛び付いてきました。ですが、上辺だけを真似たコスプレに終わってしまい、本質は何も変わりません。そうこうしているうちに、日本流経営の原点を忘れてしまったのです。
言うまでもなく、昭和のやり方をそのまま繰り返せばよいわけではありません。反省すべき点や、変えなければならないところはたくさんあります。しかし、土台となるもの、私はこれを「本(もと)」と呼びますが、この「本」を大切にしながら、時代と環境に合わせて革新することが進むべき道だったはずです。アメリカですら、優良企業においては行きすぎた利益至上主義やショートターミズムを省みて日本流を学ぼうとする動きがあるのに、当の日本企業が自分たちの「本」を忘れ、せっせと欧米流コスプレに励んでいるのは皮肉な話です。
一時期、欧米流経営の申し子といえる「プロ経営者」がもてはやされましたが、MBAホルダーやグローバル企業で働いた経験者だからといって、経営のプロを名乗るのは見当違いでしょう。本来のプロ経営者は、複数の企業を渡り歩く人でも、受け売りの経営理論を振り回す人でもなく、志と覚悟を持って経営に当たり、結果を出してきた人を指すはずです。
そもそも、「よい会社にMBAホルダーはいらない」というのが私の持論です。そう言う私自身も、30歳からの2年間をハーバード・ビジネス・スクールで過ごし、全盛期のマイケル・ポーターをはじめとする一流の教授陣から多くのことを学びました。しかし、無批判にそれを受け入れていたわけではありません。当時の最先端の経営理論を学びつつ、同時にアメリカ流の戦略経営の限界を感じていました。かといって、日本流の現場頼み経営がいつまでも通用しないことも明らかでした。それ以来、次世代の経営モデルを模索し続けてきた私にとって、新著『シン日本流経営』はひとまずの集大成といえます。
経営の基本作法として知っておかなければならないことはあります。ただし、学んで終わりではなく、学習したことを疑い、それを乗り越えることで、初めて自分のものとなり実践知となります。欧米流のコスプレ経営はもう終わりにして、みずからの手で新たな進化の道を拓いていかなければなりません。