ゴールデンウィーク直前の2025年4月下旬、石破茂首相と5人の関係閣僚が東京大学本郷キャンパスの松尾研(松尾・岩澤研究室)を訪れた。生成AIの集中講義を受け、スタートアップ経営者らと車座で意見交換するためだ。石破首相は「目から鱗の一日だった」と述べているが、松尾研を中心とするエコシステムからは、日本の次代を担う起業家とイノベーション人材が次々と巣立っている。長い停滞の時間を過ごしてきた日本は、ゲームチェンジャーを生み出すために何をすべきなのか。松尾豊教授に聞く。

挑戦する人が増えれば
成功者が増える

編集部(以下青文字):松尾先生がアカデミアを起点とするスタートアップエコシステムを構想されたのは、どのような背景があったのでしょうか。

成功が成功を呼ぶエコシステムで若者と技術の潜在力を解放する東京大学大学院 工学系研究科 教授
松尾 豊 YUTAKA MATSUO
1997年東京大学工学部電子情報工学科卒業。2002年同大学院博士課程修了後、産業技術総合研究所研究員、スタンフォード大学客員研究員を経て、2007年より東京大学大学院工学系研究科准教授、2019年より東京大学大学院工学系研究科人工物工学研究センター/技術経営戦略学専攻教授。2002年人工知能学会論文賞、2007年情報処理学会長尾真記念特別賞受賞。2020〜22年人工知能学会、情報処理学会理事。2017年より日本ディープラーニング協会理事長、2019年よりソフトバンクグループ社外取締役、2021年より新しい資本主義実現会議有識者構成員。2023年よりAI戦略会議座長。専門はAI(人工知能)。博士(工学)。

松尾(以下略):大きなきっかけは、2005年から2007年にかけてスタンフォード大学に留学した経験です。(スタンフォード大がある)シリコンバレーのエコシステムは本当にすごいと感じました。特に、アカデミアと産業界の距離の近さが、日本で経験したものとはまったく違っていました。

 大学では最新の技術を学生に教える実践的な講座が開かれ、グーグルやヤフーなどから社員がやってきて講義していました。企業が求める人材を大学で育てて、自社で採用するというルートができ上がっており、大学の研究者が企業に転身することもよくありました。在学中や卒業してすぐに起業する人もたくさん目にしました。

 私がパブリックデータを使って研究している一方で、フェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)は膨大なユーザーデータを使って研究し、新しいアルゴリズムができたらすぐにデプロイ(運用環境に実装)し、仮説検証していました。圧倒的に企業の中のほうが技術が進んでおり、アカデミアが閉じこもって素晴らしい発見をして、社会に価値を出すという時代は終わったのだと強く感じました。それがもう20年も前のことです。

 帰国後もシリコンバレーにはよく足を運びましたが、向こうに行くとイノベーションが起きるのが当たり前で、新しいことにチャレンジするのも当たり前という空気が流れていました。日本にいると息が詰まって、自分の中の基準がずれてしまう感じがあるのですが、いつもシリコンバレーに戻ってリフレッシュして基準を修正していました。

 特にAIのような先端領域では、アカデミアが研究室に閉じこもるのではなく、産業界と連携して研究開発や人材育成を行い、一緒に未来をつくっていく必要があります。そうしないと学術研究としても勝ち目がありません。産学連携の応用研究として、ではないところがポイントです。基礎研究としてすら勝ち目がないのです。アカデミアにいる我々は、社会に価値を出し、一体となってイノベーションを進めることで、基礎研究を加速させなければならないと考えています。

 いまでは、松尾研を中心としたエコシステムから多くのスタートアップが生まれています。このエコシステムがうまく機能している要因は何ですか。

 スタートアップの輩出に関して言うと、もちろん仕組みとしての工夫はいろいろありますが、一番大きいのは成功している人が増えているということですね。シリコンバレーも同じですが、周りに成功している人がいると、「自分もできるんじゃないか」と思って、みんな挑戦を始めます。そして、挑戦する人が増えると、成功者が増える。その中でいろいろなノウハウが生まれて成功確率も上がっていくので、それがフィードバックされてさらにエコシステムが大きくなっていくというイメージです。

 松尾研発スタートアップ(注1)で、IPO(新規株式公開)している会社がいくつかあります。また、最近ではM&Aの事例も増えました。そういう先行事例が出てくると、「本当に上場できるんだ」「経済的にも成功するんだ」と実感する。「だったら挑戦してみよう」とみんなが思い始めるんです。

 面白いのは、人間はできるつもりになってやると、結構できるものだということです。「できないんじゃないか」と思っていると困難に直面した時にくじけやすいのですが、自信を持ってやると周りにもいい作用を及ぼしますし、自分でも困難を何とか乗り越えてしまいます。

 だから、成功が成功を呼ぶという面がある。それが起こっているのがシリコンバレーだし、まだ局所的ですが日本では松尾研がそうした流れをつくっていると感じます。

注1)
「松尾研発スタートアップ」は登録商標で、松尾研出身者が創業、または松尾研の支援を受け創業された企業のうち、技術・事業力ともに成長可能性が認められ、かつ松尾研の理念に共感し、ともにエコシステムの拡大に取り組むスタートアップ企業を認定している。