漫画インベスターZ『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク

三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第176回は、巷間を賑わす「老後2000万円問題」のミスリーディングを厳しく批判する。

一人歩きした「乱暴な計算」

 時価総額争奪ゲームは終盤戦に入った。主人公・財前孝史と藤田慎司は時価総額がいくらか確信が持てない中堅どころの銘柄群を集め、100兆円のゴールを目指す難題に挑む。目標額を超えれば敗北が確定してしまう「一寸先は闇」の緊迫した局面が続く。

 手がかりが足りない状態で暫定解が求められる。ゲームとしてはタフだが、現実ではありふれた状況だろう。十分なデータがないなかで論理的にざっくりと数字をはじき出す思考法は「フェルミ推定」として知られる。コンサルなどの面接の定番なので就活シーズンに訓練する学生も多いようだ。

 名称はマンハッタン計画に参加した物理学者エンリコ・フェルミに由来する。フェルミには、爆風に舞う紙切れの挙動から原爆の威力を「フェルミ推定」したというエピソードがある。

 有名な例題は「アメリカの都市シカゴにピアノの調律師は何人いるか」だろう。シカゴの人口から世帯数とピアノの数を推定し、調律の頻度と必要な調律師の数を求める、といった流れで推論を重ねる。

 フェルミ推定的な発想は時に強力なツールとなるが、使いどころを間違えればとんでもないことになる。最悪の例が「老後2000万円問題」だ。

 老後資金が2000万円必要という数字は、老後世帯の家計について「月々の赤字5万円×12カ月×30年」という前提ではじき出された。単純な掛け算では1800万円となり、それを丸めて2000万円とした。この乱暴な試算が一人歩きして大きな禍根を残した。

老後2000万円問題の「最大の誤り」

漫画インベスターZ 20巻P139『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク

 最大の誤りは「月々5万円の赤字」という前提だった。金額は試算当時の「夫65歳、妻60歳の無職世帯」の支出と公的年金収入の差額だった。

 だが、高齢になるほど食費や旅行費などの支出が減って家計の赤字は縮小する。最近の家計調査のデータによると、消費支出と可処分所得の差を65歳から100歳まで合計しても「累積赤字」は1000万円程度にすぎない。

 高齢者は無職という前提も現実離れしている。今や60代後半でも男性の6割、女性の4割が働いている。統計上、65歳から70歳の勤労世帯の家計は月々9万円程度の黒字となっている。子育てと住宅ローンが終わって定期収入があれば、家計は一気に楽になる。

 ちなみに「老後」に10年働けば、2000万円問題は雲散霧消する。60歳から70歳まで、あるいは65歳から75歳まで、10年間働いて黒字を貯蓄したと仮定すると、その後100歳まで生きても老後の収支はプラスになる。

「老後2000万円問題は幻だ」が私の持論だ。先般、あるテレビ番組に出演した際にも「老後に必要な資金はゼロ円だ」と答えた。

 これは老後資金など用意しなくて良いという意味ではないし、生活保護受給者が増えるなどお金の不安を抱える高齢者は実際にいる。

 ただ、間違った前提に基づく数字を元に「誰もが2000万円ためないと豊かな老後が送れない」と不安を煽るのはもうやめようというメッセージとして極論を述べた。

 老後のあり方もマネープランも人それぞれであり、「平均」で語ってもほとんど意味はない。2200兆円の個人金融資産の単純平均は1人当たり1800万円ほどになる。平均値だけ見れば「老後2000万円問題」は解決済みとなるが、そんなわけがない。

 私の考え方の詳細はnoteの投稿「なぜ老後に必要な資金は『ゼロ円』なのか 不毛な『2000万円問題』に終止符を」をご参照願いたい。

漫画インベスターZ 20巻P140『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク
漫画インベスターZ 20巻P141『インベスターZ』(c)三田紀房/コルク