
約45年前は、製造業の輸出産業において世界から一目置かれていた日本。しかし、90年代後半から日本の国際競争力は急速に衰えていき、現在も低空飛行を続けている。なにゆえ、日本は競争力を失ってしまったのか。日本銀行出身のエコノミストとして活躍する熊野英生氏が、日本が辿った栄枯盛衰について解説する。※本稿は、熊野英生『インフレ課税と闘う!』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。
「日本製品の独壇場」は昔話
なぜ半導体が弱体化したのか?
かつて、日本は巨大な対米貿易黒字を稼ぎ出し、その黒字の結果として円高が起こっていた。貿易黒字は、輸出超過だから、日本企業が受け取った輸出代金をドルから円に交換する圧力が高まり、ドル売り・円買いになるという理屈である。
日本の輸出が最も勢いよく伸びたのは、1980年代であった。当時の主力は、ブラウン管テレビ、ビデオテープレコーダー、ビデオカメラ、ファクシミリなど通信機、コピー機(複写機)が主流だった。
当時の通商産業省(現・経済産業省)の資料を読むと、輸出拡大の理由には、「通信機(ファクシミリ)、ビデオカメラがあります。いずれも新製品であり、かつ、日本以外の生産がほとんどないため当然の結果として輸出数量が大幅に上昇しています」(「日本の貿易」〈1990年発行〉、通商産業省貿易局)とあった。
当時、ビデオテープレコーダー、ファクシミリなどは米国で生産されておらず、米国の経済成長は即、日本からの輸出増につながっていた。要するに、日本製品の独壇場だったのである。
その日本の競争力は、90年代から凋落していく。IMD(国際経営開発研究所)の国際競争力ランキングでは、1992年までは日本が1位を維持していたが、1993~1996年までは2位~4位。ところが、1997~2002年までは27位へと急落していく。この経過は、半導体産業における日本の地位が低下するのと歩調を合わせていると考えられる(*)。半導体メモリー(DRAM)の生産量は、1998年前後に韓国に逆転されている。