90年代は、家電製品がアナログからデジタルに移り変わる時期でもあった。CD・MDプレーヤー、DVDレコーダー、カーナビ、デジカメ、携帯電話などの登場である。

 それが2000年代になると、スマホが登場して、次第にデジタル家電のいくつかのカテゴリーが、スマホの機能の中に入って消滅していく。

 アナログ家電がなくなり、デジタル家電がスマホに駆逐されていくと、日本国内に半導体の大口ユーザーがいなくなってしまう。川下のユーザーを失うことは、日本の半導体産業の弱体化へとつながっていく。

「円高のせいで負けた」はウソ?
日本の半導体を沈めた“本当の敗因”

 さらに、半導体業界では、大きな地殻変動が、90年代後半から2000年代にかけて起こる。垂直統合型から水平分業型へのシフトである。

 従来の日本の半導体産業は、設計から製造まで一貫生産する垂直統合型が当たり前だった。川上から川中、川下まで同じ企業内で担っている。これは、自動車や工作機械でも同じことだ。

 しかし、世界の主流は、半導体の設計、製造プロセスは、それぞれ別々の企業が担うという分業体制に変わった。ファブレス/ファウンドリーの体制が全盛期を迎える。ファブレスとは、ファブ(自社製造工場)がない(レス)という事業形態である。半導体の開発・設計、マーケティングを担う、巨大スマホ企業はファブレスだ。

 代わりに、設計を自社で行わず、効率的な受託製造を行うのは、製造専業のファウンドリーである。熊本に進出を決めた台湾のTSMC(台湾積体電路製造)は、その筆頭格だ。2022年には、熊本に別に第2工場を作るという計画が持ち上がった。ファブレス・メーカーが水平分業をするかたちで、ファウンドリーに製造委託する。

 90年代後半には、日本の半導体産業から聞こえてきた不安は、このまま集積度が上がると投資額が数千億円に膨れ上がって、国際競争についていけなくなるという声だった。

 しかし、これは、総合デパートのように、何もかも自前製造しようという発想から抜け出せないがゆえの限界だった。

 水平分業体制では、1社が担う分野を小さくできるので、投資額を抑えるとともに、得意分野に特化できた。総合デパートには手が届かない技術力を蓄えて、競争優位の分野をつくる戦略だった。日本メーカーは、そうした柔軟な業界の仕組みの変化についていけなかった。従来の流儀にこだわり、勝つことを優先できなかった。

 こうした経緯を踏まえると、単純に「日本は、80年代以降、仕組まれた円高によって潰された」という見方は、的外れだとわかる。敗因を認めたくない心理を、円高のせいにしている。

 この言い訳を真に受けて、為替が円安になれば、日本企業の競争力が復活すると信じることは、誤解に誤解を上塗りする二重遭難めいた論理だと思われる。