フクヤマ氏の論点をより砕けた形で言い表してみよう。

・中国は大きな国で、共産党も強そうだけど、本当にそれだけで社会は持つの?
・グローバリゼーションの時代、情報は溢れているし、中国人は海外の商品や外国人に触れて、外国にも出ていくけれど、世界で何が起きているのかを知ってしまった中国人たちは、それでも共産党政府に民主化を要求しないの?
・これまで国家の統合ばかりが重視され、社会の公正やルール作りが軽視されてきた中国の社会に、民主主義は本当に根付くといえるの?
・科学や技術でもすごい成果を上げている昨今の中国だけど、知的財産権や表現の自由が保証されない状況で、本当にそれらはまともに発展していくの?
・中国人はこれからも、民主主義や法の支配を重んずる私たちとは異なる形態で、独自の発展をしていくつもりなの?

 日頃中国・中国人と付き合いがあるかどうかは別にして、多くのコスモポリタンが意識・無意識のうちに関心を抱き、気になって仕方がないイシューであると思う。まさに、「中国民主化への道」にも直結する問題提起であるが、ここでは、フクヤマ氏が「現代政治システム」構築の必要十分条件として掲げる3つの要素が昨今の中国社会でどのように機能しているのかを私なりに考えてみたい。

中国政治の正当性は
「手続き」ではなく「結果」

 まず、中国は自らの主権、政府、領土、国民を擁した強大な中央集権国家であり、「a strong nation」という条件が中国政治システムの核になっているという点は疑いない。フクヤマ氏が主張するとおりである。

 次に、accountability(正当性)であるが、これは言い換えれば、「中国共産党は何を以て責任ある政府といえるのか?」ということだ。西側自由民主主義を共有する日本の政治システムを比較対象に考えてみよう。

 日本政府の「正当性」はどこから来ているのか?

 近年総理大臣が毎年変わり、「政治が安定しない」という文脈から語られることの多い日本政治であるが、この現状は、制度的な意味における「正当性」そのものとは直接関係がない。日本政府の首長である内閣総理大臣、及び各政府機関の首長である閣僚は、議院内閣制という制度設計の下国民によって選ばれていることを以て「正当性」を賦与されている。日本国憲法の三本柱の一つである「主権在民」がこの点を反映している。だから、政府の首長としての業績が不振に陥った場合は、総理大臣が解散権を発動したり、辞職することを以て「責任」をとる。こういう「手続き」を踏むことによって、「正当性」は初めて担保される。

 上記の内容は当たり前だと思われるかもしれないが、少なくとも私はそんな当たり前の事情が持つ制度的重要性を中国に来てから初めてまともに考えるようになった。中国共産党の政治システムを現場でウォッチすることを通じて「正当性」という問題に思いを巡らすようになった。

 中国共産党の首長である国家主席・総書記、行政機関である国務院の総理や副総理、全国人民代表大会の代表、あるいは地方政府の首長たちは人民によって選ばれているわけではない。官僚機構の論理や党内権力闘争など、「制度的」ではなく「人治的」な要素によって権力を誇示しているのが依然として中国共産党政治の在り方である。「そんな執政党のどこに正当性があるのか? 国民に対してどのように責任をとるのか?」というのはまっとうな質問といえるが、仮に昨今の中国共産党に正当性を見出すとすれば、それは「党としてのパフォーマンス・業績力」にある。

 経済を成長させ、雇用を保証し、社会を安定させ、所得を向上させ、社会インフラを充実させ……といった業績をそれなりに担保できているからこそ、人民は「自らが選んでいない共産党が国家を統治しているという現状」に納得しているのである。