俺らの世界は1日でも早く入ったら先輩だから、7歳年下のサンペイちゃん(編集部注/小林邦昭のあだ名)もたった1週間くらい早く入っただけでずっと先輩。しかも去年(2024年)亡くなったから、あの世に行っても先輩だよな。
あの頃の新日本はクセのある人間揃いだったけど、なぜか荒川さんとはウマが合ったんだよ。ケンカはしょっちゅうしたけどな。酔っ払って殴り合いをして、朝になって荒川さんが「お前、ずいぶん顔が腫れてるな」って言うから、「いや、そっちの顔もすごいよ」って言ったら、「誰にやられたんだ?」「お前にやられたんだろ、コノヤロー!」ってね(笑)。
「ひょうきんプロレス」荒川だが
猪木はその実力を認めていた
俺たちレスラーっていうのは、そうやって仲良くなるんだよ。殴り合いのケンカをして仲良くなるなんて、一般の人たちはわからないだろうけど、一緒にキツい練習をやって競い合って、たまに殴り合いのケンカして、また仲直り(?)して。
そういうことの積み重ねから、少しずつ尊敬の心みたいなものがお互いに芽生えてきて、それが友情に変わるんだ。「俺も強いけど、コイツも強いな」って感じでな。まあ、普通の人にはわからないだろうけどね。
俺と荒川さんのレスラーとしての共通点は、長いこと新日本の前座を務めたこと。あの人は「スターになろう」みたいな願望はなかったんじゃないかな。自分の好きなことをやってそれでメシが食えるなら幸せ、そういうタイプだよね。
俺だって同じなんだよ。農家の長男だから田舎に帰ったら冬が長く寒い岩手で百姓をやるしかないけど、新日本にいれば、道場でメシはたらふく食えるし、酒だって飲める。メインイベンターになったらいろんなしがらみがあるだろうけど、俺は前座だからこそ長年関節技を追求することができた。客入りの心配なんかもしないでいいし、幸せだったよ。
ただ、荒川さんと同じタイプとはいっても、プロレスのスタイルはまったく違った。なんといっても荒川さんは、ストロングスタイルを標榜していた昭和の新日本で、ただひとり「ひょうきんプロレス」をやっていたからな。
猪木さんはリングで笑いが起きることをなによりも嫌っていたけど、荒川さんの「ひょうきんプロレス」だけは、見て見ぬふりをするような感じで認めていた。なぜかというと、荒川さんにそれだけの力があったからだよ。