自己肯定感の高め方は文化により異なる

 欧米では自己肯定を貫くことで自己肯定感が高まるのに対して、日本でそのようなことをしたら周囲から浮き、不適応感に苛まれ、かえって自己肯定感は低下してしまうはずだ。

 僕たちは文化の衣を身にまとって生きている。自己肯定感というのは、属する社会の文化にうまく適応することによって高まっていくものなのではないか。

 そうであるなら、欧米人にとっての自己肯定感は自分を際立たせ自信満々に振る舞うことによって高まるだろうが、日本人にとっての自己肯定感は謙虚さを示し思いやりや協調性をもって周囲の人たちと良好な人間関係を築くことによって高まるのではないだろうか。

 逆説的な言い方になってしまうが、日本人の場合は、ある種の自己否定が自己肯定感を高めるといった側面があるのではないか。

 そうすると、国際比較調査の自己肯定感得点を根拠に、「日本の若者の自己肯定感の低さは問題だ」とみなしたり、「日本の若者の自己肯定感を何とかして高めないといけない」と考えたりするのは、大きな勘違いに基づくものと言わざるを得ない。

 そうした勘違いによる教育政策が普及することで、せっかく内省能力があり、向上心もあり、思いやりもあり、周囲と協調しながら日本文化に適応している若者の心が、中途半端に欧米化することで、どの文化にも適応できないものにつくり変えられてしまう恐れがある。

書影『自己肯定感は高くないとダメなのか』(筑摩書房)『自己肯定感は高くないとダメなのか』(筑摩書房)
榎本博明 著

 ここまで理解できれば、「自分に満足」とは思えず、自己肯定感得点が低くなっても、「自分は自己肯定感が低いからダメなんだ」などと気に病む必要はないし、国際比較調査のデータをみて「日本の若者は自己肯定感が低いからダメなんだ」などと萎縮する必要もないことがわかるだろう。

「向上心溢れる自分がここにいる。自分はこんなもんじゃない。もっと立派な人間になれるはずだ。ここで満足してしまったら成長はない。まだまだ成長できる。もっともっとマシな人間になれる。だから今の自分に満足だなんて答えることはできないんだ」といった感じに開き直ればいい。

 このように考えると、ほめまくりによって自己肯定感を何とか高めようという近頃の風潮は、文化的要因をまったく無視して、自己肯定感得点に振り回されるばかりで、あまりにも見当違いだとしか思えない。実際、ほめまくりによって自己肯定感が高まる気配はみられない。