黒焦げの死体が積まれ、地面には黒い油が…表参道を地獄絵図に変えた「もうひとつの東京大空襲」とは現在の表参道交差点(筆者撮影)

太平洋戦争末期の1945年5月25日深夜から26日未明にかけて行われた大空襲から80年となる。下町を焼き払った3月10日未明の東京大空襲に対し、山手地域に甚大な被害をもたらしたことから「山手大空襲」とも呼ばれる。B29による無差別爆撃は都心を火の海に変え、運行終了間近の地下鉄も巻き込まれることになった。関係者の証言を手がかりに「もうひとつの東京大空襲」を振り返る。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

東京大空襲の規模を
はるかに上回る山手大空襲

 米爆撃機B29を用いた東京空襲は1944年11月に始まった。当初の攻撃目標は武蔵野の航空機工場など軍需工場が中心だったが、1945年2月以降は市街地への無差別爆撃が始まった。3月10日の東京大空襲に続き、4月14日に北部、15日に南部、5月24日には南西部が焼き尽くされた。そして最後の仕上げとして、焼け残った都心及び西部(山手地域)を対象に行われたのが翌25日の空襲だった。

黒焦げの死体が積まれ、地面には黒い油が…表参道を地獄絵図に変えた「もうひとつの東京大空襲」とは
「全国主要都市戦災概況図」を筆者が加工 拡大画像表示

 25日午後10時2分、陸軍東部軍管区司令部はB29の接近を知らせる「警戒警報」を発令した。上述の4月14日、15日の空襲のように、大規模空襲は日を置かずに続く傾向があったことから、前日に続く空襲を警戒していた人もいたようだ。