NHKは8月、関東大震災2カ月後の「地下鉄計画」の書簡が発見されたと報じ、筆者のコメントも放送された。この書簡は東京市(当時)が帝都復興院に提出したもので、その鉄道史的な意味は大きい。番組では放送されなかった、震災により変化した地下鉄構想と、その過程における書簡の意味について、詳しく解説する。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
関東大震災前に高まった
地下鉄整備の機運
防災の日(9月1日)の由来を知らないという人が約半数という共同通信の記事を見て驚いた。言うまでもなく東京、横浜を焼け野原にした関東大震災が発生した日付である。そして今年は、ちょうど100年の節目となる。
そんな中、東京市が震災2カ月後の1923年11月、震災復興計画に関係して帝都復興院に提出した「地下鉄計画」の書簡が発見されたとNHKが報じた。史料は、内務大臣兼初代復興院総裁として復興計画をとりまとめた後藤新平が設立した「後藤・安田記念東京都史研究所」の書庫に眠っていた。
筆者はNHKから書簡の鉄道史的な位置づけについて見解を求められ、8月28日放送の「首都圏ネットワーク」の特集でコメントが放送された。取材では震災を挟んで変化した地下鉄構想と、その過程における書簡の意味を説明したが、残念ながら尺の関係でその多くは電波には乗らなかったので、本稿で補足、解説をしておきたい。