第二次世界大戦末期、東京も空襲の標的となった。都心を標的とした初めての空襲では、有楽町駅や地下鉄銀座駅で大勢の死傷者が出た。時代の最先端を行くオシャレな街として栄えた銀座が爆撃される光景を、人々は現実感もないまま呆然と見上げていたという。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

「まさか都心にも爆撃が…」
白昼に起きた銀座空襲

空爆を受けた終戦直後の銀座
当時から流行の先端を走っていた銀座も空爆の対象になった。銀座駅や有楽町駅は破壊され、大勢の死者が出た Photo:AP/AFLO

 中央通りと晴海通りが交差する銀座の中心地、銀座四丁目交差点。その角には1932年の竣工以来、銀座のシンボルであり続けてきた銀座・和光の時計塔がある。その対角線に開業した新しいランドマークGINZA PLACEや、銀座六丁目街区のGINZA SIX、数寄屋橋交差点の東急プラザ銀座なども完成し、銀座の街並みはここ数年でずいぶんと様変わりしている。

 銀座は戦前からずっと、伝統と最先端が共存する商業の中心地であり、人々を引き付ける存在であり続けてきた。

 そんな銀座の街に爆弾が降り注いだのは1945年1月27日、土曜日の昼過ぎのことだった。曇天の向こうにB29の爆音が聞こえてきたかと思うと、新橋から銀座、京橋にかけて突然数十本の爆炎が立ち上った。

 この日、銀座を襲撃したB29は、武蔵野の飛行機工場を標的としていたが悪天候のため攻撃ができず、帰路都心部に投弾していったようだ。工場を破壊するために搭載していた通常爆弾が、日比谷、有楽町、銀座など都心一帯の建物に大きな被害をもたらした。

 東京に対する空襲は既に前年末から始まっていたが、攻撃目標は兵器工場が中心で、都心の中枢が攻撃されたのはこれが初めてだった。まだ空襲の恐ろしさを実感していない人々は、物珍しそうに空を見上げていたという。市街地を標的にした無差別焼夷弾絨毯爆撃が始まるのは、これより1カ月ほど後のことである。

 50発近く投下された爆弾のひとつは有楽町駅のホームと改札付近を直撃、空襲警報を聞いて駅に退避していた100人以上の乗客を一瞬で吹き飛ばした。
 
 別の爆弾は銀座四丁目交差点の鳩居堂の前、銀座駅出入口(現在のA2出口)の真横に落下した。出入口は跡形もなくひしゃげ、道路には大きなクレーターができた。道路下の銀座線トンネルには直径3メートルほどの大穴が開き、破壊された水道管から水が噴き出して、土砂とともにトンネル内に流れ込んだ。