焼死体が石垣のように積まれ…
地獄絵図だった神宮前の光景
空襲で銀座線の渋谷車庫、乗務区、技術区、職員寮などが焼失し、銀座線渋谷駅が入る玉電ビル(後の東横百貨店西館)も一部焼失、隣接する東横百貨店は内部が全焼した。26日朝から新橋~渋谷間の運転を再開できたとは考えにくいが、明確な記録はない。

その頃、神宮前の地上は地獄絵図そのものだった。笠松ツネ子(当時22歳)さんは「神宮前まで行くと、参道の神宮に向かって左側に、焼死者を石垣を積み上げるようにたくさん積み上げてあった。幅は5メートル位で、3、4メートルの高さに、20メートル位は積み上げてあったように思う。真黒く炭になっていた人もいたし、ただただ石ころか何かのように積み上げてあった」と振り返る。
また、渋谷消防署職員として消火活動に携わった林茂(当時28歳)さんは、「重い足を引きずりながら表参道の所まで来た。安田銀行(現・みずほ銀行)の角の路上に焼死体がうず高く積まれていた。昨日の朝ポンプ車で通った場所だ。あまりにも悲惨で正視に耐えない。200体ぐらいあったろうか」と振り返る。
林さんは「終戦後数年間、その死体を置いてあった場所あたりは、黒い油みたいなものが浮きでていたと記憶している。その後いつの間にか、舗装し直してしまった」とも述べている。道路の染みは舗装の打ち替えで消えたが、表参道の石灯籠(いしどうろう)の台座が欠け、下部が黒ずんでいるのは、空襲の痕跡と言われている。
東京の空襲は「東京大空襲」だけではない。慌ただしく人々が行き交う地下鉄に、若者や外国人旅行者で賑わう華やかな表参道に、戦争の痕跡は今も残っているのである。