正しいことをやっているつもりが
世の中の空気に流されているだけ

 このままではかんぱんが作れない。家族で困っていると、蘭子も屋村の味方をする。兵隊さんにかんぱんを食べてもっと戦ってもらおうなどという考えはいやだと反対する。

 せっかくの申し出を断ることにしたのぶだが、校長先生(中尾隆聖)は激怒。婦人会でも、羽多子(江口のりこ)がつるし上げを食ってしまう。

「あんぱんは作れてもかんぱんは作れん?」と韻を踏んで怒る婦人会の民江(池津祥子)。

 彼女も家族を戦場に送っているようで、家族と共に戦いたいと思って銃後の守りを頑張っているのだ。

 そんな事情を聞くと、のぶはやっぱりかんぱん作りを屋村に頼もうと思い直すが、蘭子は「うちはもう戦争なんか関わりとうない」と断固反対の姿勢を見せる。

 のぶの結婚を祝った蘭子だが、内心は豪(細田佳央太)のことをずっと悲しみながら、じっと我慢しているのだろう。恋人を失った蘭子と結婚したのぶの対比が悲しい。

 蘭子は、のぶが学校や生徒たち、婦人会の人たちから白い目で見られることを気にしていることを指摘する。

 確かに、のぶには自分の確固たる信念がない。いま世間はこういう風潮だからと、多数派の流れに従っている。こういうことは誰しもありそうなことだ。自分では正しいことをやっているつもりで、実はそれは、世の中の空気に流されているだけということが。

 国の意思、会社の意思、親の意思、仲間の意思に合わせることで、波風立たないように生きられる。でもほんとうにそれでいいのか。多数派の考えがほんとうに正しいのか。なんのために多数派に流れるのか。そこのところを考えるのが人間の知性と感性である。

 そこで屋村の言葉だ。もっと適当に、自分の心の声を聞いてみることを、一日一回は試してみたい。そもそも、かんぱん食べて戦争に勝てるのか、勝てないだろう。

 ちなみに、「バドジズデジドダ」という歌詞の「ラッパと娘」は『ブギウギ』で歌われた実在するヒット曲。この歌詞も『ワッサン』と同じく歌詞の意味が不明。こういう理屈にとらわれないものがこの時代にはあったのだ。

「適当は気楽でいいぞ」屋村(阿部サダヲ)の一言が、流される日常にブレーキをかけた【あんぱん第44回レビュー】

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