イチローさんのやり方は基本的にこれと同じです。印象的だったのは、ある学校の生徒たちへの、「僕から聞いた言葉を皆さんが頭の中で整理して、自分なりに言葉にして答えを出している様子に感心しました」という言葉です。まさに本稿のテーマとも重なる視点で、イチローさんが指導をしていたことが伝わってきます。
伝えるべきことを相手によって難易度を変えてできるかどうか、言語化能力としてはそれが重要です。いい換えると、それさえできればどんな情報も言語化による置き換えが可能になります。
外国語を学ぶ前に
母語の思考を学ぶ
誤解していただきたくないのは、私は何も日本語至上主義を唱えているわけではありません。
日本語が世界的に見ても素晴らしい言語であること、母語に習熟することの必要性を再認識し、思考と感性を豊かに養いながら、言語化力を高めてもらいたいのです。
そもそも「国語力」とは、知識を深めるための「考える力(理解力)」、知識を上手に使うための「伝える力(表現力)」、そしてコミュニケーション力を高めるための「いい換える力(比較力)」という3つに大別できます。これらの力があってはじめて、教養を高め、言語化力を養うことができるのです。
自分の子どもを「国際人に育てたい」といって、幼少期から英語を教えることを悪いとはいいませんが、まずは母語である日本語をしっかりと学び、思考の基礎となる足腰を鍛えるほうが先決です。英語を話せるから国際人なのではなく、英語を使って発信できる何かがあるから国際人なのです。
東京大学の藤江康彦教授らの共著『メタ言語能力を育てる文法授業――英語科と国語科の連携』(ひつじ書房)では、母語を用いた高次元の文法理解こそが、生徒の国語力や英語力、さらにはそれ以外の外国語能力の向上に繋がると論じられています。
どの言語にも良さと特徴があります。それぞれの国や地域の人たちが各々の母語に習熟することで、感情や思考を繊細に表現できるようになり、そのうえで他の言語圏の人たちと意味のある意思交換ができるのです。
特に今は昔と違い、AIの翻訳機能を使えばどんな言語同士でも自由に翻訳し合える環境にあります。