山口FGが切り拓いたサーチファンド市場、日本で「総合商社出身者」が続々と参入する理由とは写真はイメージです Photo:PIXTA
*本記事はきんざいOnlineからの転載です。

日本での展開、米国から30年遅れ

 日本におけるサーチファンドの誕生は、2014年とされる。米国でサーチファンドの概念が誕生したのは1984年とされ、30年遅れで日本に上陸したことになる。

 遅れた背景には、日本におけるプライベート・エクイティー(PE)投資ビジネスの広がりのタイミングがある。サーチファンドはPE投資活動の一種だが、米国での組織的なPE投資ビジネスは70年代後半に勃興している。一方、日本では90年代後半に誕生しており、この時点で20年遅れている。米国でもPE投資ビジネスの勃興からサーチファンドの概念が誕生するまで、10年弱を経た。日本では、PE投資ビジネスの定着が遅かったため、サーチファンドの誕生も遅れたと考えられる。

 振り返れば、山口フィナンシャルグループ(FG)が2019年に「アクセラレーター型(投資家1社がほぼ独占的にサーチャーを支援する形態)」の「サーチファンドに投資する投資ファンド」(Fund of SearchFund=サーチファンドに出資することを目的としたファンド)を立ち上げた。これを皮切りに、日本でもサーチファンドへ投資する投資ファンドが次々と誕生した。当社も20年設立の投資ファンドである。

資金供給源に地銀が多い点が特徴

 日本のサーチファンド投資では、資金供給源として地方銀行が大きな役割を果たしてきた。これは日本の特徴といえる。日本で最初にサーチファンド投資事業を組織的に立ち上げたのも地銀以外が運営するサーチファンド投資ファンドに多く出資しているのも、地銀である。米国では、サーチファンドはビジネススクール卒業生の一キャリアとして発展してきたのに対し、日本では、地域の中小企業の事業承継問題の解決策の一つとして期待されているためだと推察される。