文春砲対策が必要なくなった?
「被害者」の声が重要な理由
2つの大スキャンダルに共通するのは、被害者の存在が明確になっていたことです。文春が勝手に当事者たちの写真を撮って「不倫だ」と叫んでも、既婚者側の夫婦間でトラブルが起きなければ、問題にはならないことなのです。内情がどうなっているかわかりませんが、被害者の声を誌面に出せない以上、文春は報道する判断を少し早まったと言えないでしょうか。
ちなみに、永野さんは韓国人俳優との「二股」疑惑も報じられており、彼が永野さんの自宅に現れたところを撮影されていましたが、プロから見れば、情報源が永野さんと田中さんの日程を完全に把握していないため、文春がずっと張り込んでいるしかなく、たまたま韓国人俳優と一緒にいるシーンまで撮影できてしまったとしか思えません。なぜなら、他の人間が家に来ると事前にわかっていれば、張り込みがバレる可能性があるので、通常は張り込みを一時中止するのが雑誌記者の経験則だからです。
かつてベッキー問題で文春砲ブームが起きたとき、浮かれてテレビに出まくったり、「センテンススプリングス」というロゴの入ったTシャツや「ふみはる君」などというオリジナルキャラを発売したりする編集部関係者の姿を見て、私は不安を覚えました。過去に文春が獲得した、知的な大人の読者を大量に失ったと思ったからです。編集長経験者から見ると、メインの読者層が大人から芸能好きな若者へと変わってしまうのではないかという危惧がありました。
私は文春を辞めてからも、「被害者の訴えがない記事は出すべきでない」と記事や書籍で警告を発し続けました。外の世界に出てみると、文春が世間から嫌われ、従来のような「ユーモアや教養のある大人が読む雑誌」というイメージが、完全になくなっていることを実感したからです。
以降は、私の言う世間の空気を感じたのか、文春は被害者の存在を意識する編集を始めたように見えました。また、BBC報道をきっかけに過去のジャニーズ問題が取り上げられたことを皮切りに、松本人志、中居正広、兵庫県知事などの問題で、文春報道の正確さが見直され始めたと思っていました。それだけに、今回の準備不足には残念な思いを禁じ得ません。結果として文春は、これ以上2人を追及することができない状況に陥っているように見えるのです。