不倫報道の“終わりの始まり”
週刊誌が認めるべき現実とは

 そして第三の視点は、今回の報道が「不倫報道の終わりの始まり」ではないかと思えることです。元文春編集長という立場を離れ、メディアの観察者として客観的に意見を述べます。

 ここにきて、ジャニーズ問題、松本人志問題、中居正広問題と、不同意性交に関するスキャンダルばかりが騒がれていますが、現実問題として考えると、これは本当に微妙な問題です。男性も女性も、お互いの接し方に以前にも増して気を遣わなくてはいけなくなっているからです。そんな時代に不倫をするのは、いざというときにお金も含めたトラブル対応ができる人たちだけ。もはや、不倫は一般人にとって身近なものではなくなっています。週刊誌も、そろそろその事実を認めたほうがいいかもしれません。

 人々の時代認識が変わり、必要な情報が変わったことも認識すべきではないでしょうか。不確実性が増す世の中を生き抜く指針を身に付けるために、エンタテインメントばかりでなく、政治、国際、経済、食料、環境などに関する問題を人々にやさしく、かつ面白く知らせる義務が、メディアにとってますます必要になっています。

 また、これは私の座右の銘ですが、週刊誌は強い者と戦ってこそ意義があります。この精神を欠いて、安易に興味本位のネタに頼らない。特に最近は、一般人から週刊誌への情報提供もさかんになり、それに頼って、きちんと裏取り取材をしていないのではと思える報道が目立ちます。これでは、情報源と同志のような関係を築き、物事を深く追及することは難しくなるでしょう。

 永野芽郁さんと田中圭さんの不倫疑惑は、メディアの在り方が改めて問われるきっかけになったと思います。

(元週刊文春・月刊文藝春秋編集長 木俣正剛)