霊魂が存在するとかしないとかの問題ではない。兵士たち、あるいは兵士の家族は、戦争での不条理な死に納得できないから、それに応じた心理的な不安や苦悩で心中に特別な「物語」を作るのである。その物語は意識して作られるのではなく、ごく自然に出来上がるように思う。それが戦時民話の本質である。
これも私の体験なのだが、ニューギニア島での激しい戦闘とその後の飢えを体験した学徒兵に詳細な体験談を聞いたことがある。その学徒兵は大学教授の職についていたが、自宅の応接間で私の質問に答えているうちに、1時間近くを過ぎると私との会話が噛み合わなくなっていった。
私の質問に答えるのではなく、誰か戦友とおぼしき人物と会話を始めたのだ。視線は私の座っている椅子のずっと上、つまり天井に向けられている。その会話は、2人が心を許した仲間であることを窺わせた。
戦死したはずの仲間と話して
激高する大学教授
「あの将校は我々をなんだと思っているんだ。バカにするのもいい加減にしろ」
そう言い出すと、視線は宙を泳いでいるようになる。むろん私は答えようがない。私の質問と噛み合っていないからだ。
「なあY、職業軍人のあの無礼な態度は何なんだ――。我々を虫けらのように思っているんじゃないか。あんな連中にバカにされて、なんで死ななきゃならないのか」

保阪正康 著
温厚に話していた会話が怒鳴り声になる。Yというのはやはり同じ学徒兵で、同じ連隊で訓練を受けていた仲間らしい。そのYに向かって、自分たちを愚弄(ぐろう)した傲慢(ごうまん)な将校への怒りを訴えている。「おまえの苦しさや怒りを自分は晴らしてやる」とYと会話している状態になる。
この大学教授のYとの会話は10分近く続いただろうか。応接間に夫人が入ってきて肩を優しく叩くと次第に興奮がおさまっていく。「この方はYさんではないのよ」と言って手を握っている。Yはニューギニア戦線で戦死(餓死)したという。
教授は下士官に私的リンチを受けたことなどを思い出すと精神のバランスが崩れる。人間としての尊厳を著しく傷つけられた記憶は、帝国大学で学んだ彼のプライドを根本から崩してしまったのだ。