
「南方の戦線で全滅したはずの部隊が内地の基地に帰還」「戦死したはずの息子が母親の布団に潜り込んできた」――。こうした戦時下の数々の証言は、荒唐無稽に聞こえるが、筆者にとってはこれこそ戦争のリアルだと言う。※本稿は、保阪正康『戦争という魔性 歴史が暗転するとき』(日刊現代)の一部を抜粋・編集したものです。
2500人の兵士が帰営したのに
電気もつかず物音もせずの怪
昭和17(1942)年8月にガダルカナル島で、最初に上陸を試みた一木支隊の2500人の将兵は、第1次、第2次の攻撃で結局は全滅という状態になった。この支隊は、北海道の旭川の第7師団の兵士たちによって編成されていた。
本来はミッドウェー海戦(1942年6月、日本海軍機動部隊は米ミッドウェー島の攻略と米艦隊撃滅を狙って出撃したが、空母4隻を失う壊滅的敗北を喫した)がうまくいけば、そこに上陸予定の部隊であった。結局この海戦は負け戦になり、一木支隊は急きょガダルカナル奪回に回されたのだ。部隊全滅後、旭川市内で幽霊話が広まっていく。幽霊話は、いかにも真実味を帯びていた。
市内にある第7師団の兵舎は留守部隊が守っていた。一木支隊に編成されてガダルカナルで亡くなった兵士のことはすぐには知らされなかった。昭和17(1942)年8月、9月といえば日本軍が一挙に敗勢に向かうころで、敗北して撤退するのを、「転進」と言ってごまかしたときである。