保阪正康
コメ価格が3倍に高騰!革命前夜の「米騒動」を収めた総理はなぜ殺されたのか
いま、SNSでは令和の米騒動と叫ばれている。もちろん、大正7年の米騒動にかけているわけだ。全国各地で群衆が米屋を襲い、軍が出動するほどの混乱に至ったこの社会危機を収めたのが、当時の内閣総理大臣・原敬である。政府主導で食糧流通を整える「米穀法」を施行し、混乱を沈静化へと導いた原。その手腕は高く評価されていたが、わずか半年後に暗殺されてしまう。なぜ、国を救った総理は殺されねばならなかったのか?※本稿は、保阪正康『戦争という魔性 歴史が暗転するとき』(日刊現代)の一部を抜粋・編集したものです。

戦死者の声が聞こえる……「兵士の幽霊」を生み出したのは誰だったのか
「南方の戦線で全滅したはずの部隊が内地の基地に帰還」「戦死したはずの息子が母親の布団に潜り込んできた」――。こうした戦時下の数々の証言は、荒唐無稽に聞こえるが、筆者にとってはこれこそ戦争のリアルだと言う。※本稿は、保阪正康『戦争という魔性 歴史が暗転するとき』(日刊現代)の一部を抜粋・編集したものです。

学徒出陣から生還した東京帝大生が70年の沈黙を破り語った言葉
戦局劣勢の日本では、1943年、ついに学徒出陣が行われ、そこで「生還を期せず」と語った東京帝大生・江橋慎四郎は、戦後に「生きているではないか」と猛批判を浴びた。江橋はその後長い間沈黙を保っていたが、93歳にして初めて口を開いた。そこで語られた葛藤と衝撃の事実とは?※本稿は、保阪正康『戦争という魔性 歴史が暗転するとき』(日刊現代)の一部を抜粋・編集したものです。

「そうですかあ?」上皇陛下の意外なリアクションにヒヤッとした理由
「秩父宮殿下が2.26事件に関与した見解は間違いだと思っています」と話す著者に対して、上皇陛下は腑に落ちない表情を見せられた。昭和史研究の第一人者である故・半藤一利氏と共に、吹上御苑の御所に招かれた著者が、「ほかの宮家に対する天皇家の警戒感」を感じた陛下の言葉とは?本稿は、保阪正康『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。

「私の読んだ本とは違いますね…」上皇陛下が満洲事変の解説に異を唱えたワケ
昭和史研究の第一人者である故・半藤一利氏と著者が、2013年から16年の3年間で6回、天皇、皇后両陛下(現上皇、上皇后)に御所に招かれ、計20時間以上にわたる「雑談」を交わした。公式の場面では絶対に出てこない陛下のお言葉は、昭和、平成の2代の歴史の重みを自然と感じさせた。半藤氏も驚いたという陛下が見せてくださった満洲事変に関する書籍とは――。本稿は、保阪正康『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。

そこまで書いちゃうの?「天皇と雑談した男」の記録が面白すぎて引き込まれる!
「保阪君、雲の上の人に会う気はあるか?」と、昭和史研究の第一人者である故・半藤一利氏に声をかけられた著者。これを機に、「2013年から2016年の3年間で6回も、天皇、皇后両陛下(現上皇、上皇后)に御所にお招きいただき、それぞれ数時間にわたる“雑談”を、都合20時間以上重ねた」という貴重な記録が一冊になった。陛下に教わった、ソ連も勝てないアフガニスタンの強さの秘密とは?本稿は、保阪正康『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。
