もはやヒステリックと言える内容ですが、ここでひとつの疑問が浮かびます。

 なぜ一介の異端審問官にすぎない男による“怒りに任せて書いた書物”が、15、16世紀における魔女狩りを先導(扇動)するほどの力を持つことができたのでしょうか?

 ここには大きく3つの理由があります。

(1)権威からのお墨付きがあった
(2)活版印刷技術の出現による大量生産
(3)当時の時代性との合致

教皇のお墨付きを
悪用した?

 まず第1に、本書の共著者とされている、ヤーコブ・シュプレンガー(15世紀ドイツのドミニコ会士)の存在です。

 シュプレンガーは当時、神学研究において最も権威のある大学のひとつ、ケルン大学神学部の教授でした。

 クラーメルは本書をケルン大学へ送り、査読を依頼しました。そして神学部教授陣8名による「クラーメルの考察は学術的に正当なものである」という同意書を取り付けたのです。

 しかし後年の研究では、この同意書にはケルン大学から訂正の申し出があったことが分かり、クラーメルの捏造(ねつぞう)である可能性が指摘されています。

 共著者であるシュプレンガーも、クラーメルの活動を拒んでいた節があり、著書に関してもあくまでも名義貸しだけであったとも言われています。

『魔女に与える鉄槌』の冒頭には、「限りなき願いをもって求める」と題された教会教書が収録されています。この教書を著したのは当時の法王インノケンティウス8世です。

 魔女の実在とその脅威を訴える文言とともに、クラーメルに対して魔女狩りの権限を与えるということが記されています。

 しかしこの教書は、『魔女に与える鉄槌』が書かれる2年前に、クラーメル個人に対して発行されたものでした。つまり、書籍そのものに対して許可を与えたわけではありません。

 ところがクラーメルは、著書の権威強化のために教書を「序文」として悪用したのです。