彼の容赦ないやり方は、市民のみならず、現地教会の反感をも招くことになります。そしてクラーメルは審問委員会による精査を受けることになったのです。

 その結果、クラーメルの審問は棄却され、教区から追放されました。

 クラーメルにとって、これは屈辱的な大敗でした。

 彼は経歴に傷をつけられたことで怒りに燃え、自身の異端審問官としての知識を総動員して1冊の本を書き上げます。

 のちに『魔女に与える鉄槌』と題されるこの本は、魔女の危険性を訴えるだけのものではありませんでした。クラーメルが異端審問官として培った、

「魔女を見つけ出す技術」
「魔女を自白させるための効果的な拷問法」
「処刑のための教義的に正当な方法」

 などが事細かに記されていたのです。まさに魔女狩りのためのハウ・ツーです。

ゾッとする…10万人が死んだ魔女狩り「拷問マニュアル」書いた男の異常な執念同書より転載

ヒステリックなまでの
女性への不信感

 本書には次のような一節があります。

 女はその迷信、欲情、欺瞞、軽薄さにおいてはるかに男をしのいでおり、体力の無さを悪魔と結託することで補い、復讐を遂げる。妖術に頼り、執念深いみだらな欲情を満足させようとするのだ。

「ユリイカ」(1994年2月号、青土社)より引用

 この文章からも分かるように、クラーメルの女性に対する不信感は並々ならぬものがあったと推察されます。

 実際、「魔女」とされてはいるものの、当時、魔術を使うとされた人間は必ずしも女性に限ったものではありませんでした。

 しかし、クラーメルはとりわけ女性に対する記述を多く記しています(クラーメルが記述のなかで「MALEFICARUM」、つまり女性名詞を用いていることから、witch=魔「女」のイメージを決定づけたものであるとする研究者もいる)。