村で起こった不幸に対し、人々は明確な「犯人」を求めました。
村で疫病が流行れば、「酒場の女主人が毒を混ぜたに違いない」と疑い、産後に産褥(さんじょく)熱で母親が死ねば、「産婆が魔術を働いた」と告発しました。
こうして数々の追い風を受け、『魔女に与える鉄槌』はヨーロッパ全土へと広まっていき、「暗黒時代」と呼ばれた12世紀をも上回る数の犠牲者を出すことになるのです。
この本が「良書」と
された時代があった
――以上が『魔女に与える鉄槌』に関する紹介です。
本記事は全編にわたり、特定の宗教・宗派を批判する意図は一切ありません。
かつてキリスト教の一部の思想を拠り所として行われた魔女狩りですが、これは時代や場所が変われば別の宗教や主義主張のもとでも行われています。
たとえば、アステカ王モクテソマ2世は、メキシコ中の魔術師とその家族を虐殺した記録が残っています。
また16世紀のアンゴラでは、旱魃を起こした疑いで「天候を操る」とされた人々が殺害されました。
こうして歴史を眺めてみると、「鉄槌」に類する主義主張は数多く見つかります。

この本を「良書」と呼ぶか「悪書」と呼ぶかを判断するのなら、多くの人は「悪書」と断ずるでしょう。しかしそれは、現代の価値観に基づいたものにすぎません。
かつてはこの本が(局地的ではあったにせよ)「良書」として扱われた時代があったことを忘れてはならないのです。
私たち一人ひとりがいまバイブルとして信じている主義主張が、他の誰かへの「鉄槌」となっていないかは常に顧みたいものです。