アフリカの大地写真はイメージです Photo:PIXTA

15~18世紀において、ヨーロッパで多発した魔女狩り。欧州では黒歴史とされているが、実はアフリカでは今なお魔女狩りが発生している。現代における魔女狩りの実態とは。※本稿は、池上俊一著『魔女狩りのヨーロッパ史』(岩波新書)の一部を抜粋・編集したものです。

ヨーロッパ以外にも
広がる魔女狩りの概念

 近年では、ヨーロッパ以外にも魔女と魔女狩りの概念を広げる思潮が登場してきた。しかもそれは歴史上の過去の事件だけでなく、現代世界の政治・社会問題あるいは国際的な文明批判の運動にもなっている。これを魔女のグローバル・ヒストリーと呼んでよいだろう。

 そのうちひとつは、ヨーロッパ/キリスト教圏以外で特定の人たちが「魔女」として裁かれる事例への注目である。もうひとつの潮流は、現代文明へのアンチテーゼとして、自然の粋のような魔女らの意義を蘇らせようという、欧米先進諸国における環境/反現代文明の運動と絡んだ動向である。

 前者から始めよう。まさに本来の魔女とおなじく、社会のスケープゴートとして犠牲になる悲惨な魔女たちが、現代でも少なからずいる。その場所は中南米であり、アフリカであり、インドである。

 多くの場合「キリスト教」という要件がないものの、彼女らが魔女に仕立て上げられるプロセスはヨーロッパ近世の場合と似ている。

 中南米では、植民地化以前にも吸血魔女やシャーマン的な魔女(というより呪術師)がおり、後者は動物への変身、空中飛行、占い、治療、呪術での自然力統御などの超自然力で知られたが、スペインによる植民地化により彼女らは悪魔視され、16世紀後半にはキリスト教的観念と融合して、ヨーロッパのものに類似した「魔女」になったのである。

 メキシコ、ペルーやブラジルでは、宣教師は植民後、害悪魔術を行うこうした魔女を探索したし、住民らは発見した魔女とその家族を殺害した。

 だが異端審問においては(スペインでもそうだったが)彼女らの業を妖術としてよりも呪術として裁こうとした。まじない・呪文、悪霊の助力を得ての宝探しなどの呪術である。

 だがときには、悪魔との契約、サバトなどについての自白が得られた。16~17世紀にカルタヘナの裁判所は169、リマの裁判所は136、メキシコの異端審問所は74の案件をそれぞれ裁いた。

 18世紀には、リマとメキシコでの訴訟案件はよりふえていった。だがいずれにおいても、悪魔と魔女に関わる妖術を罪状として死刑になった者はいなかった。