実力か、あるいはおごりか。

 自身と周囲の評価が一致しないのは、どの組織の誰であっても起きうることだ。ただ、少なくとも元社長は今回、転職にあたって抱いた焦燥を「自身の実力」で拭い去ろうとはせず、持ち出したデータで虚飾をまとう道を選んだ。

 転職する人は増えている。総務省の労働力調査によれば国内の転職者数は2019年に351万人で、比較可能な2002年以降で最も多かった。

 営業秘密侵害事件の摘発は2022年に29件とこれまでで最多。前職のビジネス情報を転職先に持ち出したとして立件される事件も相次いでいる。

コロナ禍を除き転職者増加傾向、営業秘密侵害事件は増えている同書より転載 拡大画像表示

 公判で起訴内容を全面的に認めた元社長。2023年4月、結審前の最終意見陳述で、取り調べを担当した検事にかけられたという言葉をそらんじた。

「あなたは自分のやったことを悔いて悔いて、悔いていると思う。でも、あなたの成功体験がなくなったわけではない」

 成功体験とは若くして誰もが知るチェーン店の経営を担う立場にまで上り詰めたことをさしていた。

 積み上げてきたすべてを事件で失った元社長。地裁が言い渡した有罪判決を代償として受け入れ、控訴しなかった。

 元社長は法廷で、今後は外食産業の場で再び活躍することを目指したいとも述べている。後ろ盾のない中で頼れるのは、まごうことなく「自身の実力」ただ1つだ。

 成功体験にも自ら犯した罪にもとらわれず、再び返り咲くことはかなうだろうか。

書影『まさか私がクビですか?なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』『まさか私がクビですか?なぜか裁判沙汰になった人たちの告白』(日本経済新聞「揺れた天秤」取材班、日経BP)