
タンドリーチキンホットサンドのボリュームにも圧倒された。肉厚のチキンは、スパイスがしっかりと効いており、食べ応え十分である。価格設定は喫茶店メニューとしてはやや高めかもしれないが、それを補って余りある満足感が得られた。
昨今の外食産業が価格を抑えるために量を減らす傾向にある中で、コメダの姿勢は貴重である。量も味も期待を裏切らず、むしろ期待を大きく上回る体験を提供してくれた。
「カレー祭り」ではなく「カリー祭り」という表記も、単なる遊び心ではなく、本格的なものを提供するという「強い意思」の表れではないかと、食後には感じるようになっていた。
新宿中村屋の意外なルーツ
このコメダ「カリー」の本格的な味わいの源泉は、新宿中村屋が監修したカリーソースにある。中村屋のカレーが「本物」と評される(自称含む)ゆえんは、ルーツがイギリス経由ではなく、インドから直接日本にもたらされた点にある。
イギリスの歴史家リジー・コリンガムの著書『Curry: A Tale of Cooks and Conquerors』(2007年)には、その経緯が記されている。
《1912年、インドの革命的民族主義者ラス・ビハリ・ボースが、ベンガル地方でイギリス当局の追跡を逃れて日本へと亡命した。彼は日本の右翼軍国主義団体『黒龍会』に庇護を求め、そこで黒龍会に関係のある一家の娘と結婚した。彼は、日本の大学に在学中のインド人留学生の間で反英プロパガンダを広める一方で、インド料理の普及にも貢献した。ボースは、義父である相馬愛蔵に、小麦粉もカレー粉も使わないインド式カレーの作り方を教えた。相馬はその技術を活かして、娘(つまりボースの妻)の名前を冠したレストラン『中村屋』を開業した。この店は今も東京・新宿にあり、現在でも『R.B.ボースのカレー』が提供されている》という記述がそれである。
日本の一般的な「カレー」文化は、明治期にイギリス海軍を通じて伝来したものが主流である。小麦粉でとろみをつけたルーを用い、肉や野菜と共に煮込むスタイルは、イギリスでインド料理をベースにアレンジされたものが、さらに日本で独自の進化を遂げた結果と言える。