でも、本当にそういう学校で良いのでしょうか。大人たちの目がないと自主的に行動できない子になってしまう危険性がある、つまり、よくない性格を中高生活がさらに助長してしまうことになるかもしれません。
一方で、だったら学校サイドが在校生たちの自主性に任せてのびのびとやらせるタイプの学校だったら良いのか…。もちろんこれもまた問題がありそうですよね。
そんなことをぐるぐると考えていくと、「わが子に合う校風などそもそもあるのか?」というところで行き詰まってしまいそうです。
でも、わたしはそんなものではないかと考えます。学校の性質を図で一覧化した「マトリクス」が雑誌や書籍などで紹介されることがありますが、いまの例に挙げた「管理型」と「自由型」が学校の校風を分析するための対極軸として示されることがあります。
でも、その学校を「管理型」ととらえるのか、「自由型」ととらえるのかは本人たち次第。たとえば、同じ学校であったとしても、担任教員がたまたま厳しく、上下関係が明確な体育会系の部活動に所属している子であれば、「管理型」と感じるかもしれません。
一方、穏やかな教員に囲まれていて、のんびりとした文化系の同好会で活動する子にとっては「自由型」と感じられる可能性もあるということです。
大事なのは「校風」よりも
「この学校で6年間過ごせるといいな」
もちろん、それぞれの学校の「何となくのイメージ」は存在するのでしょうし、外から見ると世間から言われるそういう校風は的外れでないことが多いというのも事実ですが。
校風は大切なものですが、そこまで過敏にチェックしなくても良いことなのかもしれません。わたしの塾の卒業生たちを見ていると、子どもたちはその学校で中高生活を送っていくうちに、目には決して見えないゆるやかなスピードで「その学校らしい子」に成長していくように思えます。
「その学校らしい生徒・卒業生」というのは無形ではありますが、確かに存在するような気がします。先の「校風」の話といささか矛盾するのは承知のうえで、この点を語っていきましょう。