時はまさに天安門事件の真っただ中。民主化運動を武力で制圧するため出動した人民解放軍の戦車部隊の前に、1人の勇敢な若い男が飛び出した。彼は大胆にも戦車の前に立ちふさがり、仁王立ちになってその前進を阻んだ。すると戦車の操縦士がハンドルを切って進む方向を少し変え、彼の脇をすり抜けようとした。だが、その男も果敢に横移動して方向を変えた戦車の前に立ちふさがる。戦車が今度は逆方向に舵を切り、逆サイドから男を避けて進もうとするが、男もそれと合わせて逆方向に横移動し、再び戦車の行く手を阻んだというものだ。

 そして彼こそが、素手で戦車に挑んだ勇敢な民主化運動の戦士だったと称えられている。確かに世界に配信された短い映像やスチール写真に限れば、そのような説明をつけても誰も不思議には思わない光景ではあった。

戦車男が現れた場所には
外国メディアがひしめいていた

 もし筆者が当時現場でそのありさまを自分の目で見ていなかったら、いとも簡単にその「伝説」を信じ込んでいただろう。だが実際にその不思議な「名場面」をありのまま目にすることができたおかげで、多くの疑いを抱くようになった。

 現場に居合わせたからこそ断言できる点は、まずあの「名場面」が起きたのは、天安門事件の当日ではなく、その翌日、つまり1989年6月5日だったということだ。すでに広場は、人民解放軍の部隊に完全に制圧されていた。

「名場面」の舞台も、天安門広場そのものではなく、それよりやや東側の長安街。当時、民主化運動の取材をするため多くの外国の報道機関が最前線の取材拠点を構えていた北京飯店のすぐそばだった。外国の報道機関に対して最もアピールしやすい地点だった。

 4日の軍事制圧で広場を締め出された多くの外国の報道機関は、北京飯店の長安街沿いのバルコニーにカメラを備えつけ、レンズを広場のほうに向けて警戒していた。問題の「名場面」は、まさにその報道陣のカメラのファインダーにそのまま写り込む絶好の場所で起きた。だからNHKを含む世界の主要メディアの多くが、男が戦車の前に立ちふさがる瞬間を撮り逃すことなく撮影できたのだ。

 もし、それが「勇ましい民主化運動の闘士」の大胆な決起であれば、事前に予告でもされていない限り予測不能であり、たまたまその場に居合わせたどこかの幸運なメディアが特ダネとして撮影できることはあり得るとしても、かくも多くの外国の報道機関が一斉に撮影できるとは考えにくい。