実際には、戦車男の行動はまさにその逆で、自らの宿営に帰ろうと広場を後にする戦車の列の前に、まるで「広場から撤収するな」というかのような阻止行動をしたのだ。

 さらに疑問は尽きない。先頭の戦車が前進を阻まれても、後続の20両近くの戦車がお行儀よく1列に連なる必要はなかったはずだ。現場の長安街の道幅は片道5車線以上という北京の中でもひときわ広い場所だった。周囲にはバリケードもなかった。

 他の戦車は、先頭車の脇をすり抜けてどんどん前進できたはずだ。たった1人の素手の男が、先頭の戦車を止めたところ、後続する20両近くが数珠つなぎのようになって一斉に止まってしまったことすらおかしなことだった。

 男が着ていた服装もおかしかった。真っ白なワイシャツを着ていたのだ。当時、天安門広場で抗議運動をしていた学生や市民の多くは、その場に何日も寝泊りしていたため、顔はすすけ、着ているものはだいぶ汚れていた。汚れが目立たないよう色物のシャツを着ている人が多かった。

 天安門広場の周辺で見かけた「きれいな白いシャツ」の人たちは、その多くが2人ずつペアで行動する私服警官など当局側の人間が多かった。われわれが天安門広場などで取材する時も、常に「白シャツ」の姿や視線を確認しながら行動していたのだ。

 当日、戦車男を取り押さえた私服警官と見られる人たちも、その多くが白シャツだった。そして何より、秘かに人民大会堂に進駐した兵士たちもまた、白シャツ姿が多かった。