監視の目が光る公安省の前で
なぜ戦車男は無事だったのか?
筆者とともに北京飯店にいた取材班は、しばしあっけにとられ、一体何が起きたのかわからなかった。とにかく普通ではあり得ないことが起きたことだけはわかった。そして、考えれば考えるほど理解に苦しむことが次々と浮かび上がってきた。
まず、厳重な警備が敷かれていた天安門広場の近くになぜあの戦車男が易々と入り込めたのかということ。もし仲間がいれば数人で一斉に車道に飛び出したと思われる。前日の天安門事件の時に、長安街に突入してきた装甲車を止めようとした「暴徒」は、大勢で装甲車を取り囲み、キャタピラと車輪の間に鉄パイプを突っ込むことで、力ずくで走行を不能にした。
ところがあの戦車男はたった1人で無謀にも戦車の前に立ちふさがったのだ。完全な単独行動に見えた。
しかも男が戦車を止めた場所が公安省の目の前の路上で、当時その近辺には、非常に多くの私服警官が見張っていたはずだった。もし不審な男がいれば、道路に飛び出した瞬間につかまってしまうような緊迫した状況だった。なぜ私服警官たちは、あの戦車男が戦車の前に飛び出してもすぐに取り押さえず、しばらく戦車の行く手を妨害し続けることを黙認したのだろうか。
また、戦車男はなぜ両手に大きなバッグをぶら下げ、戦車に合図を送るようなしぐさをしたのか。戦車男の視線が常に戦車の操縦士の潜望鏡のほうに向けられていたのはなぜなのか。戦車男は、なぜ最初から最後まで無言であったのか。広場で抵抗した多くの学生や市民が、いつも大声で共産党や政府の批判を口走っていたのとは対照的だった。
戦車男が立ちはだかった相手は
広場に入る戦車ではなかった
そもそも行く手を阻まれた戦車部隊は天安門広場を制圧した後、広場から“撤収”する方向に移動していたのだ。もし戦車男の行動が、広場に侵入しようとする戦車を食い止めようとしたのであったらまだ納得できる。