
三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。最終回となる第187回は、改めて「投資の本質」を考える。
「インベスター」の意外な語源
春が来て道塾学園に新入生がやってきた。主人公・財前孝史は成績トップの生徒を投資部に勧誘する使命を与えられ、1年前の自分自身とその後の運命を振り返る。財前が新メンバーを部室に導き入れる場面で物語の幕が閉じる。
財前と投資部の1年に、2年弱をかけて並走してきた。あらためて感じるのは、投資の本質を突いたコンテンツは古くならない、ということだ。
20世紀初頭に活躍した投機家ジェシー・リバモアの伝記『欲望と幻想の市場――伝説の投機王リバモア』は今もマーケットの本質を突いた名著とされる。ネットどころかラジオすらろくに普及していなかった時代の経験談が現代人にも響くのは、テクノロジーが進化してもマーケットの本質は人間臭いものだからだろう。
『インベスターZ』のエピソードを振り返っても、その時々の投資テーマや経済トピックの中には今とのズレを感じるところはあるものの、この作品の背骨にあたる部分、人がどうお金や投資に関わるべきなのか、という問題提起とメッセージは少しも古びていない。
インベスターという言葉はラテン語のインウェスティーレ(investire)に由来する。「役職を象徴する衣装を与える」が原義で、例えばローマ教皇の叙任式はinvestitureと呼ばれる。原義から「役職や地位、領地を与える」といった用例に広がり、転じて「資産を任せる」という意味が生じた。
語源からして、投資は「カネがカネを生む」のが本質ではなく、「何かを託す」という営みなのだ。不確かな未来に向けて、自分の持てる資源を、不確かなものに投じる。つまりリスクをとって踏み込むことが投資の本質だ。
ドラッカーが喝破した「もっとも希少な資源」

託すものは金銭や財産とは限らない。経営学者ピーター・ドラッカーが「最も希少な資源は時間」と喝破したように、多くの人にとって一番大事なのは自分自身の時間をどう使うか、それによって人生を豊かで幸せなものにできるかだろう。カネを他者に託して金銭的リターンを得ることは、投資のほんの一側面でしかない。
NISA(少額投資非課税制度)の普及で投資のすそ野が広がっているが、そもそも、原義までさかのぼって考えれば、この世に生まれ落ちたすべての人は投資家なのだ。
投資は胡散臭いものという根強い偏見により、日本には投資家マインドや投資文化が根付いてこなかった。その嫌悪感が資産形成の狭い世界にとどまっていたなら弊害は少ないかもしれない。
だが、私には、投資家的思考の欠如は長年、日本の社会の弱点になってきたのではという思いが強い。
限られた資源をどう配分するか。リスクをどうとらえるか。時間という要素をどう管理するか。不確かな世界のなかで、誰を信頼して、何を託すのか。こうした問いに正面から向き合うのを避け、問題を先送りしてきたツケが、今の閉塞感の強い社会を形作っている。
新しいことを始めるのに、遅すぎることはない。今からでも、投資家のマインドをもって人生に臨むことはできる。本来、人間はすべて生まれながらにして投資家なのだから。
最後に187回の連載にお付き合いいただいた読者の皆様にお礼申し上げます。

