戦争は突然起こるわけではない、戦前の六大学を巻き込んだ「文化戦争」の3つの時期東京六大学野球発祥の地、明治神宮野球場。リーグ発足は、戦前の六大学を巻き込んだ「文化戦争」の時期とも重なっている Photo:PIXTA

戦時体制が進むほど大学は窒息状態に
言論封殺・敗戦までに「3つの時期」

 春季リーグ戦が開幕した2025 年4月12日、東京6大学野球100年を記念する碑の除幕式が、東京・神宮球場で開かれた。各校の主将たちが全長1・2メートル、重さ2トンの記念碑の幕を引いた。台座には「東京六大学野球発祥の地」と刻まれ、ボールを模したモニュメントが上に乗っている。

 碑文には「五大学(早慶明法立)のリーグ戦に秋季から東京帝国大学(現在の東大)が正式に加入し、中断していた早慶戦も19年ぶりに復活、名実ともに充実した東京六大学野球リーグ戦が開始された」などと書かれている。

 記念すべき最初の試合は、1925年9月20日、明治大学と立教大学の対戦だった。明治大学の一番バッターは、二出川延明。兵庫県の第一神港商業を卒業した右翼手だった。後にプロ野球の審判になり、「俺がルールブックだ」と述べた人物として知られる。

 試合は7対1で明治が勝った。東京六大学野球は翌年完成した明治神宮野球場を舞台に、日本の野球熱をけん引したが、六大学が誕生した1925年はその後の大学などでの自由な言論の封殺、そして日本が戦時体制に向けて突き進んだ節目の年でもあった。

 政府・軍と東京六大学の関係は、時期と大学によって異なっているが、時代区分で見ると、大学が設立された19世紀後半から1945年の敗戦に至るまで3つの時期に分けることができる。

 第一期は、各校が誕生し私立大学が大学令によって正式な大学に昇格する1920 年頃まで。第二期は、1925年前後から31(昭和6)年の満州事変まで。第三期は満州事変から敗戦に至る過程だ。