共産主義以外にも弾圧拡大
滝川事件から「天皇機関説」攻撃へ

 第三期は、政党政治が崩壊し戦争へと突き進んだ時代で、この時期は大学の自治は押しつぶされ、自由な研究活動を標榜する自由主義者が攻撃された。  

 発端となったのは1931 年(昭和6年)の満州事変の勃発だ。さらに民間人へのテロが頻発し、翌32年5月の「5・15 事件」で犬養毅首相が海軍青年将校に暗殺された。政党政治が崩壊し、社会の歯止めは失われ、軍部が台頭する。

 この時期の大学の言論弾圧の象徴的事件が、京都帝国大学の滝川幸辰教授が共産主義的だと非難され、支持した教授らとともに免職となった33年5月の滝川事件だ。
 
 前年の10月、滝川教授が講演で、トルストイの「復活」を通じて犯罪と刑罰の問題を論じ、社会は犯人への報復措置をとるだけでなく、犯罪の原因や社会的背景に目を向ける必要があり、特に法に携わる者は被告人への同情と理解が必要だと説いた。
 
 それから間もなく、判事などの司法関係者が「共産党のシンパ」として治安維持法に問われる司法官赤化事件が起きた。右翼勢力がこのとき、「こうした事態が起きるのは、司法関係者が大学で法律を学んだときに、共産主義思想の『赤化教授』の門下生だったからだ」という理屈で、滝川ら4人の教授を攻撃したことが契機だった。

 滝川の講演や著書『刑法読本』が非難の対象となり、帝国議会でも保守派議員が問題にしたことから、内務省は33年4月、滝川の著書『刑法読本』と『刑法講義』を発禁処分にした。

 さらに文部次官が京大総長に対して滝川への辞職勧告を行い、「応じない場合には休職処分に」との要求をし、文部省は5月26日、滝川の休職を決めた。共産主義やマルクス思想以外が弾圧された初めて事件だった。