
TOKIOはどんなグループだったのか? 31年間にわたって「ジャニーズの異端児」
31年間も「ジャニーズの異端児」
2025年6月25日、TOKIOが解散
TOKIOがグループの解散を発表した。1994年のデビューから実に31年。旧ジャニーズ事務所から生まれたSMAPや嵐と並び、平成の芸能史を築いた3大グループのひとつが、あまりにもあっけなくその歴史に幕を下ろした。
決断の背景には、国分太一によるコンプライアンス違反と無期限活動休止がある。振り返れば2018年には山口達也が強制わいせつ容疑で書類送検されてグループを脱退(後にアルコール依存症を告白)。長瀬智也は21年3月末に旧ジャニーズ事務所を退所しグループから脱退している。
解散を発表する文面には、こう綴られていた。
「このたびメンバーでお互いの意思を確認し合い、このような状態になった以上、グループ『TOKIO』として活動して皆様から再び信頼をいただき、応援いただくことは難しいと判断したため、ここでグループとしての活動に区切りをつけることといたしました」
この文面からは、城嶋茂と松岡昌宏が「TOKIO」という名に対する責任と信頼に、最後まで誠実に向き合い続けたことがうかがい知れる。
TOKIOはどんなグループだったのか。31年間にわたって「ジャニーズやアイドルの異端児」と称され型破りに挑戦しながらも、地方が抱える悩みに寄り添うアイドル――老若男女に愛された彼らの軌跡を改めて振り返ってみよう。