
山口達也が不祥事でバンド瓦解
長瀬智也が脱退→株式会社TOKIO設立
国民的グループとして不動の人気を確立したTOKIOだが、近年は綻びと再生の転換期を迎えていた。
先に述べたように山口達也が不祥事でグループを脱退。これにより事実上、TOKIOの音楽活動は停止した。毎年恒例だったNHK紅白歌合戦の出演も絶たれ、その存在感は少しずつ表舞台から遠ざかっていった。
決定打となったのは21年、バンドの“核”を担ってきた長瀬智也が、自らの表現を追い求める道を選び、グループを脱退し事務所も退所。シゴデキ社員が大組織にとどまるか、フリーランスを選ぶか。
残る3人は「株式会社TOKIO」を設立。ジャニーズ事務所の傘下にありながらもメンバー自らが運営を担うという、芸能界においてかつてない挑戦だった。「タレントの働き方に多様性をもたらす新しい働き方」などと、関係者はもちろん一般視聴者からも高く評価されてきた。
しかし25年6月20日、国分太一の不祥事とグループ活動停止が発表された。続く25日にTOKIOは正式に解散。株式会社も廃業の運びとなった。
