私自身は音楽家ですが、私が考える音楽とは、舞台の上での商業音楽ではなく、生活や人生の中で思わず生まれ、多様な存在が協奏して自然発生的に生み出されていく、大きないのちの音楽です。
歩くことは音楽であり、呼吸することも音楽であり、うなずいたり笑顔になることも音楽です。それは時に耳に聴こえないこともある。そもそも、この地球や宇宙に今、存在する奇跡を音にしたら、ものすごく多様で面白い音楽が聴こえてくるはずなのです。
同時に、私という個人にとっても、実は音楽はどうしてもなくてはならないものです。それは言葉をこえた、そのまんまの存在を「意味をこえて」重ね合うことができるものだから。
万博のプロデューサーや会社の経営、教育などに携わりながらも、私がずっと感じているのは、こうした根源的な何かです。いのちはみんな違うからこそ、面白い! そうしたぐわっとしたいのちの力、多様な存在が響き合うからこそ面白いいのちの協奏を、原始的で身体的で根源的な何かを、私たちも万博という機会の、ある意味での本質をうまくつかまえて、表現したいと願いました。
そんな話をするうちに、みんなの中から、クラゲが「人びとのエネルギーや、わからないものの象徴」として出てきたのです。クラゲは、非常に不思議な生き物です。脳もなければ、心臓もありません。一方で毒があり、得体の知れないものを指す言葉として使われたりもします。
誰かが「クラゲだ!」といったというより、すべての話がつながり、収斂される中で、言葉で説明しきれない得体の知れないクラゲが浮かんできたという感じです。
「いのちや創造性にとって大事なものは?」→「揺らぎがある遊びかな」→「身体的なもの、原始的なものも大事だよね」→「それってクラゲみたいだよね」といったイメージです。
答えが一つではない。ロジカルに説明しきれないことも含めて、考えるきっかけをクラゲに託したといえるかもしれません。
結果的にこれは、すごくいいシンボルになったと思っています 。「クラゲ館」という名前で、みんな私たちのパビリオンに興味を持ってくれますし、闇鍋会議で長い時間をかけてやってきてくれた「クラゲ」さんだからこそ、私たちの中にはクラゲに託す(言葉では説明しきれない、身体的な)深い根っこのような想いがあるのです。