ダイヤモンド社刊
【絶版】

「聖なる大義をもつ信念家たちであふれかえっている今日の政治の場においては、経営者たる者は、公共の利益の代表者、大衆の意思のスポークスマンとして、自らの地位を確立する必要がある。言い換えるならば、経営者たる者は、自ら問題を明らかにし、解決策を見出す必要がある。事業のための個別利益の見地からではなく、社会全体における生産者の見地から発言する必要がある」(『乱気流時代の経営』)

 やがて不合理は終わり、合理が全面支配するようになるという近代合理主義の約束は反故となり、〈必然の進歩〉への信仰は裏切られた。進歩は、自動的に得られるものではなく、一歩一歩の積み重ねによるしかないことはますます明らかになった。

 しかも、われわれが直面する問題は、部分の集積として扱うことのできないものばかりである。すべて命あるものとして扱わなければならない。ということは、冷厳な事実として、われわれが直面するあらゆる問題に、経済的な側面があるということである。

 経済はそれ自体が目的ではない。目的は、一人ひとりの人間であり、社会である。したがって、人間を幸せにしない経済には価値がない。しかし、あらゆる問題に経済的な側面がある。経済が目的ではないが、経済がダメであれば社会的な目的も果たせない。

 しかも今、日々刻々と社会の高齢化が進行している。定年延長は不可欠であっても、万能ではない。生産活動の成果は、そのますます多くの部分が消費に回され、次の生産のための資本形成は困難の度を強めていく。

 どう考えても、ムダを排し、社会としての生産力を高めていかなければならない。そこにおいて必要とされるものが、マネジメント力であり、マネジメント力を持つ者である。

 そこでドラッカーは言う。「しかし、経済界が影響力を行使するには、社会を構成するあらゆる者が、経済界を社会における生産的な活動、および国民の意思を代表するものとして認めてくれなければならない」。

「経営者たる者は、自らの組織が成果を上げるようマネジメントするだけでなく、多元社会におけるリーダー、まとめ役とならなければならない」(『乱気流時代の経営』)