「なぜならこの2つの行為とも、相手に害を与えるのに何の役にも立たないからである。脅迫は、相手の要心を目覚めさせるだけだし、侮辱はこれまで以上の敵意をかき立たせるだけである。その結果、相手はそれまでは考えもしなかった強い執念をもって、あなたを破滅させようと決意するにちがいない」(塩野七生『マキアヴェッリ語録』新潮文庫、1992年)。

 たしかに、脅迫も侮辱も相手に実害を与えるわけではない。むしろ、強い恐怖と敵意に駆られた相手が「やられる前にわが身を守らなければ」と必死で反撃してくる可能性が高い。

 とくに昨今は容易に録音できるので、脅迫や侮辱の言葉を含む音声データが証拠として警察や会社に提出されれば、それこそ身の破滅につながりかねない。

 この言葉を私は座右の銘にしている。読者の方も肝に銘じておくべきである。

自虐や愚痴のなかに隠された
丸出しの承認欲求アピール

 ときには自慢したくなることもあるだろう。そういうことは誰にでもある。私自身にもあり、そういえばあのとき自慢称賛マウントを取ったなあと思い出して、恥ずかしさで顔が紅くなる。

 だから、「決して自慢してはいけない」と偉そうなことを申し上げるつもりはない。ただ、自慢称賛マウントがもたらすデメリットを認識しておけば、無用の摩擦を避けられるし、面倒なことに巻き込まれずにすむだろう。

 まず、自慢称賛マウントは、側で聞いている人にはわかるものだ。あからさまに自分の能力や地位を誇示する場合はもちろんだが、本人は自慢していることがわかりづらいようにそれとなく自身の優位性をほのめかしているつもりでも、「自慢したいんだろうな」と容易に気づかれてしまう。

 その典型が自虐マウントである。一見すると自分を卑下しているようだが、実は自慢している。たとえば、「年収何千万円稼いでも、ほとんど税金で取られてしまう。国のATMにされているみたいで本当に嫌になる」と嘆きながら、さりげなく自身の高年収を誇示する。

 あるいは、「会議ばかりで自分の仕事をする時間がない。部下が50人にもなると、毎日誰かの相談に乗らなければならず、対応しきれない」と愚痴をこぼしながら、部下の人数の多さをアピールする。同時に、頻繁に会議に呼ばれたり相談を持ちかけられたりするほど社内で頼りにされていることを誇示する。