介護者ネットワークの
相談ダイヤルに電話すると……
筆者の母親は、認知症ではなかったが、最後はほぼ寝たきり状態であった。それでも母親とはとても濃い時間を持つことができた。筆者がそれまでまったく知らなかった母親の祖父の話や太平洋戦争中の空襲体験も聞けた。最後まで介護を貫くことができたという誇り以外にも、得たものはあった。
しかし介護がピークだった時期は、辛くてたまらず、筆者は介護者ネットワークの相談ダイヤルに電話したこともあった。いい歳をして、とは思ったが誰かに聞いてもらいたかった。
電話に出てくれた女性は「私もあなたと同じように1人で抱え込まざるを得なかったので、よくわかります。365日24時間休みなしですからね」と丁寧に応対してくれた。
「福祉学を教える大学の先生は、『1人で抱え込まないような介護をしましょう』『頑張らない介護を心がけましょう』とおっしゃいますが、それはあくまでも理想論ですよね。頑張って抱え込んでしまわざるを得ない人も少なくないのです。自分以外に看る人がいないということは、自分が倒れたら親と共倒れになるわけで、そんなことになってはいけないというプレッシャーもあるでしょう。
だけど、あなたにしかできないことなのです。きっとあとになって、やり抜いてよかったと思いますよ」と親身に話を聞いてくれた。
嫌々ながら介護されても
いい介護にはならない
筆者が「親が早く死んでくれたら楽になれる、と願う自分が情けないです」と吐露すると、「私だって何度もそう思いましたよ。そこまで思い詰めなかった人は、軽い介護だったのではないですか。むしろ本気の介護をしていないのかもしれません」と自身の体験をいろいろ話してくれた。
経験者はやはりわかってくれると痛感しただけでなく、ここで投げ出したなら後悔するということを再認識できた。とてもありがたい存在だった。
もし他の兄弟姉妹に声を掛けても、仕事とか子供とか健康状態とか、何らかの理由を付けて介護を渋るようであれば、手助けすら期待できないと考えておいたほうがよさそうだ。
もし嫌々ながら参加してくれても、やる気のない状態なら、被介護者にとっていい介護にはならない。
それだけではない。たとえ少し手伝っただけでも、そのことを理由にして裁判では「自分も献身的に介護した」と主張することが可能である。