B子さんの夫は、「もう何を言っても義妹は聞く耳を持たないのだ。諦めるしかないよ」とB子さんに言った。「等分に手伝ってほしいなんて思わないけれど、少しは手伝ってほしいのよ」とB子さんは答えた。介護を手伝ってくれているのは、実の親子ではない夫であった。

 B子さんは夫に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。その夫は「義妹にいくら手伝いを求めても、暖簾に腕押しだと思う。苛立ちが募るだけ損だよ。おまえのその苛立ちの矛先が、お義父さんやお義母さんに向いてしまうことにもなりかねない。それは避けなくてはいけないことだ。だから覚悟を決めよう」と説得した。

 B子さんは、“もう妹は死んでしまって私は一人っ子になった。だから親の世話をするのは自分しかいないのだ”と思うことにした。

2分の1の相続権を
しっかり求めてきた妹

 結局、父親を約2年間、母親については約5年半にわたる介護をした。2人とも介護認定は受けることができて、父親についてはデイサービスの利用もできたのだが、介護以降はB子さんの生活は一変した。

 両親とも最後まで自宅介護をして有料老人ホームには入らなかったので、ある程度の財産は遺産として残ったが、妹は2分の1の相続権をしっかりと求めてきた。B子さんは、“もう妹は死んだ”と自分に言い聞かせて両親の介護に奮闘してきたが、妹は死んでなんかいなかった。

 妹にとっては、何もしないで楽々手にできた遺産取得であった。B子さんは不満であったが、法律がそう定めているのだからしかたがない、と諦めざるを得なかった。

 B子さんは妹に対しては、今でもいい感情をまったく持っていない。しかし、介護はしてよかったと語っている。

「認知症が進行していって、母は最後のほうには私が誰なのかわからなくなってしまいました。徘徊して事故に遭わないかと心配で、夜もずっと添い寝しました。だけどそれまでは、まだら認知症ということで、ときたまなんですけど戻るんです。体調が日々違うように、認知症患者でも、ずっと何もわからなくなるのではないんですよ。

 夜中に私の名前を呼んで、抱きしめてくれたこともありました。そんなときに、そばに居てあげてよかったと本当に思いました」と述懐している。