このような「噂」の奇妙な点は、それを裏付けるような根拠がほとんど皆無であったことだ。ユーミン本人だけでなく、ともに音楽制作を行っていた仲間たちですら『14番目の月』のリリース後に引退するなどと仄めかしたりはしなかったからだ。確かに、ユーミンは1976年において一時的に仕事量を減らしていたが、当時のユーミンを取り巻いていた状況を思えば驚くべきことではなかった。
引退の計画についてついに尋ねられたとき、ユーミンは怒ってその噂を否定した。ファンたちは安堵した――けれども、どうして彼女のアーリー・リタイアが、あれほどの確信をもって語られたのか?ということに関しては、誰も疑問に思わなかった。
この噂が浮上した理由は、ごく単純なものであった。ユーミンと松任谷正隆が婚約したからだ。しかしなぜ彼らの婚約が、これらの噂を引き起こしたのだろうか?そしてなぜこの噂は、ある種の確証をともなって、人々のあいだで広がっていったのだろうか?
「女性を教育しても意味がない」
大学教授が放った言葉の背景
1962年、早稲田大学で教授を務める国文学者の暉峻(てるおか)康隆は、増え続ける女子学生の数にいらだっていた。暉峻は女性を教育することに意味はないと考えていた。彼の理屈によれば、結局のところほとんどの女子学生は主婦になるからである。とりわけ暉峻は、女子学生たちが日本の大学を「花嫁学校」へと変えてしまったと主張し、男子学生に割り当てられるべき枠を不当に占有していることを懸念した。
暉峻がいくつかのエッセイやインタビューで自説を述べたことで、この主張は長い論争を引き起こした。まもなくして、この議論は「女子学生亡国論」という悪名高い流行語を生み出した。
暉峻の見解には激しい反論が寄せられた。戦後憲法では、男女平等が公式に認められていたからだ。多くの人々がその発言に怒りを示し、女性が教育を受ける権利を守るために立ち上がった。しかし一方で、暉峻の主張を支持する者も多かった。
結局のところ、彼もまた多くの「誰か」の考えを代弁しているにすぎなかったのである。