あたしの歌がウケたのは…ユーミンが「土くさい」音楽を変えて一時代を築いたワケ写真はイメージです Photo:PIXTA

自ら作詞作曲を手がけるシンガー・ソングライターとして、1970年代に「ニューミュージック」を象徴する存在となったユーミンこと松任谷由実。彼女がデビューした頃、日本は急速な都市化を経て、消費主義を美徳とする社会へと大きな変容を遂げていた。日本の新しい時代にユーミンの楽曲はどうマッチしたのか、その背景を見ていこう。※本稿は、ラッセ・レヘトネン『ユーミンと「14番目の月」:荒井由実と女性シンガー・ソングライターの時代』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。

商業的な歌謡曲とは
相容れないミュージシャンたち

 歌謡曲は、すべての年齢層を対象にした商業的エンターテインメントとして制作されており、社会問題に対してはほとんど常に中立の立場をとってきた(ただし後述するように、この「中立性」には議論の余地がある)。

 歌手、作詞家、作曲家、プロデューサーといった役割は分業制で、事務所やプロデューサーが歌い手のパブリックイメージを監督していた。歌謡曲は、演歌やアイドル・ポップなどのジャンルを取り込むなど音楽的にも多様であった。

 テレビは歌謡曲を広めるための重要なメディアであり、1970年代から1980年代にかけて放送された「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」のようなランキング番組によって、これらの楽曲は広い存在感を持った。

 また、テレビが日常生活に大きな影響力を持っていたために、歌謡曲の楽曲や歌手たちもまた、日常文化のいたるところへと浸透していった。