暉峻がこのような見解を発表した当時、日本はちょうど高度経済成長期に突入したところであった。この成長は、主に産業複合体とその「企業戦士」、つまり経済的安定を家族へ提供する代わりに、すべての時間を雇用主に捧げる忠実なサラリーマンの功績によるものだとされていた。

 だがこのような男性労働者の犠牲についての物語は、戦後の1950年代から1970年代にかけての成長が、急速な都市化の副産物として生じた「核家族化」に大きく支えられていたという事実を無視している。

 都市の核家族は、公の場の議論において、性役割の二元的分離に基づいた中産階級の理想像をもたらした。つまり、男性は家計を支えるために外で働くことを奨励されるように、女性は家事に専念することが期待されるようになったのである。このような期待は当時の西ヨーロッパや北アメリカの傾向を反映するものであり、女性を私的(=家庭内)領域に、男性を公的(=教育、ビジネス、政治)領域にそれぞれ分断した。

 アンドリュー・ゴードン(編集部注/アメリカ合衆国の歴史学者。専門は、日本近現代史、労働史)が説明しているように、「すべての社会層の女性が家庭を管理し、すべての男性が職場で働く社会こそが、そうあるべき自然なあり方だ」と理解されるようになったのである。

男女7割以上が「女性は家事」
「男性は外で仕事」と信じていた

 実のところ、状況はもっと複雑であった。大学へ進学し、卒業後に就職する中産階級の女性の絶対数は増加していた。この当時の社会規範は結婚を機に、あるいは遅くとも妊娠した段階での寿退社を奨励していたが、それでも多くの女性が出産後も仕事を続けていたのである。

 しかし1960年代において、労働人口に占める女性比率は減少傾向を示し、専業主婦の比率は増加の一途をたどった。1980年代初頭には、既婚女性のほとんどは専業主婦として働いていたのである。