ジェンダーによって二分されるこのような役割分業は、政府やメディアからも支持され、このような家庭の組織化が経済成長という国家プロジェクトに貢献するものとして一般に受け入れられていた。1970年代の日本の言説では、主婦は社会に不可欠な貢献者として称賛されていたのである。多くの専業主婦は家事全般を管理し、家庭内という領域において高いレベルの主体性を享受していた。

 しかし、この役割に埋め込まれた「期待」は、多くの女性たちの生活を制限するものであった。労働市場は、既婚女性に対して出産後の職場復帰を思い止まらせたり、とりわけ大企業においては現実的な昇進の機会を与えないことによって、実質的に女性が経済的に男性へ依存せざるを得ない状況を作り出していったのである。

 もちろん、妻の家事労働なくして職場に身を捧げることなど不可能だったという点で、既婚男性も同様に妻に依存していた。

 だがこの構造の中で、多くの既婚女性は夫へ経済的に依存することになり、彼女たちの幅広い社会的主体性は制限されることとなった。

 すべての女性が専業主婦というわけではなかったが、1970年代半ばの女性のイメージは理想化された「家庭」とあまりにも強く結びついていた。「主婦であることは(中略)ほとんど女性であることと同義であった」のである。

 メディアは、女性が真の幸福を得るためには家庭生活に専念すべきだという観念を積極的に推進し、「女性=妻=主婦」という等価の連鎖が構築される上で大きな役割を果たした。この考え方は最終的に、多くの日本人に受け入れられることとなった。

 1979年に行われた調査によると、女性の70.1%、男性の76.6%が「女性は家事に専念し、男性は外で働くのが理想である」と考えていのだ。では、こうした時代の空気は、ポピュラー音楽へどのように反映されたのだろうか?