なぜ日本のポピュラー音楽は“未熟さ”を大前提としてきたのか?若さや親しみやすさによって人気を得るアイドルなど、完成された技芸より成長途上ゆえの可愛らしさこそが愛される。その背景には、近代家族と大衆メディアの結びつきが生んだ「お茶の間の願望」があった――。本稿は、周東美材『「未熟さ」の系譜』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

泥臭い成長を意識的に
演出した「スター誕生!」

歌手の山口百恵さん1980年10月5日に日本武道館で行われたさよならコンサートでの山口百恵さん(東京・千代田区) Photo:JIJI

 1970年代、日本のポピュラー音楽産業はアイドル・ブームに沸いた。アイドルのレコードが主力商品のひとつになり、テレビではアイドルの出演しない音楽番組は成り立ちにくくなっていった。「スター誕生!」は、こうしたアイドル・ブームの中心にあった。

「スター誕生!」は、アイドルの発掘プロセスをドキュメンタリー化していったが、それだけでなく、デビュー後のアイドルたちに対しても、成長・変身物語を演じさせていった。阿久悠は、次のような文章を残している。

 14歳で、あるいは、15歳でデビューした少女歌手たちを、どのようにして、作品によって年齢をとらせていくかが大きな課題であると、途中から考え始めた。そして、それは、テレビというメディアを中心に活動する場合、かなり重大なことであるとも思えた。(中略)彼女たちの成長や、社会的印象の変化などを見つめながら、彼女たちの内部に起こるであろう問題を取り込むことが、不可欠になっていった。(中略)ぼくらは、常々、どうやって成人式を迎えさせるのがいいのかね、と頭を悩ませていたのである。(阿久悠『夢を食った男たち』文芸春秋、174頁―176頁)

「スター誕生!」出身歌手たちの楽曲は、歌い手から独立した作品ではなく、歌い手の成長という意味を織り込まれながら創作された。「未熟でも、何か感じるところのあるひと」を選んでいた「スター誕生!」は、その子ども歌手が「どのように選ばれるか」ばかりでなく、「どのように育っていくか」というプロセスをも意識していたのである。その成長物語のベースには、番組を支える家族的なムードがあった。

「スター誕生!」出身のタレントたちは、デビュー後も番組出演や地方公演などを通じて関わり続け、他の子ども歌手やスタッフたちと寝食を共にする機会も多かった。そのため、「スター誕生!」出身アイドル、番組スタッフ、審査員たちは、しばしば「スタ誕ファミリー」と呼ばれた。

 芸能人を家族的な意識や生活のなかで育てるという手法自体は、珍しいものではなく、以前からも用いられていた。古くはナベプロのピーナッツにも見られたし、サンミュージックの相澤秀禎は森田健作などを自宅に下宿させ、彼らと家族同然の暮らしをしていたことで有名だった。だが、「スター誕生!」は、ひとつのテレビ番組のなかで、そうした家族的なムードを演出していったことに特徴があった。